IDEA-ISAAC

Diary
青春時代の日記から
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多幡達夫
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目 次


高校生時代(1)
 以下準備中

大学生時代(1)
大学生時代(2)
大学生時代(3)
大学生時代(4) 大学生時代(5)
 
大学生時代(4)


ストレイ・ゴート

 1955年8月31日

 「夏空に輝く星」続編の一断章。

 (注:この部分と、後で出て来る同じ形式の文は、ウエブサイトへの掲載に当って比較的大きな書き換えや追加を行っている。)


 稔「先ほど野間君と帰って来られたのにお会いしたとき、ぼくも散歩していたといいましたが、じつはここへ来るつもりだったんです。京都でいただいたお手紙に、朝目が覚めると砂利をかむような気持だとありましたが、その後いかがですか。」
 宏子「あまり考えないようにしています。考えれば、やはり暗い気持になりそうで、…」
 稔「この夏休みに最初ここへ来たときは、あなたのその気持が治ればいいと思っていたのですが、…ミイラとりがミイラになってしまいました。」
 宏子「……」
 稔「水槽の水を汲み出す数学の問題は、やはりあの通りでしたか。」
 宏子「それも、その後考えていませんでした。」
 稔「…ぼくが、いま来たのをどう思いましたか。」
 宏子「いま、ですか。」
 稔「ええ、いまです。…何とも思いませんでしたか。」
 宏子「……」
 稔「どうなんですか。」
 宏子「べつに、何とも。」
 稔「そうですか。…ミイラとりがミイラになったといった、ぼくの状態はどういうものと思いますか。」
 宏子「……」
 稔「何とかいって下さい。」
 宏子「そんなふうにいわれても、…」
 〈こんな気づまりな状態で菊池さんと顔を見合わせていることになろうとは〉と、上田稔は思った。
 稔「どうすれば治ると思いますか。」
 宏子「症状がはっきりしませんでしょう。」
 稔「何となく、悩ましい気になるのです。」
 ここで、稔は宏子に対して、ある経験の有無についての質問をした。稔は後で、その失礼な質問を、時間をさかのぼって行って消去したいと、どれほど思ったことか。宏子は親切にも、稔と話し合う別の機会を持つことを提案した。
 稔「いつ来ましょうか。」
 宏子「水曜日では、どうですか。」
 稔「それで結構です。何時に?」
 宏子「1時半頃?」
 稔「3時までは勉強する予定になっています。」
 宏子「じゃ、3時半頃にでも。」
 稔「話していたら、あまり悩ましくもないような気がしてきましたが、来ることにします。」
 「話していたら」というより、宏子に会う新しい約束が稔の心をいくらか軽くしたのであろう。帰途、稔は〈悩ましいということを朗らかに表現しようとしても、どだい無理なことだから、あの気づまりな雰囲気は仕方がなかったのかも知れない〉と考えた。〈意外な会話に発展してしまった。彼女が野間君と散歩をしてきたことに、刺激されたのだろうか。そういえば、高校時代、里内君と彼女を訪問することになった遠因も、野間君が中学卒業の交換写真を彼女から貰ったと、ぼくに話したことにあったのだ。〉とも考えた。

 翌日、稔は野間繁行を誘って、公園を歩いた。そして、こういった。
「菊池さんに独りで会わないようにして欲しい。ぼくの心がかき乱されて困る。」
繁行は答えた。
「それは、請け合えない。どんな必要があって、菊池君に会わなければならなくなるかも知れない。きのうは、先週のわれわれのハイキングで撮った彼女の写真がよく撮れていなかったので、撮り直して上げるために連れ出したのだ。それに、君の菊池君との交際は、学生時代を楽しくするための、一友人としてのものじゃないのか。」
〈請け合えない、というのは賢明な答だ。ぼくの要求が間違っていた。女性の友人が一友人以上のものに発展する可能性はある。しかし、ぼくが菊池さんと会ってゆっくり話す機会を持ち始めたのは、この休みになってからのことだ。そして、われわれは、まだ大学2年生に過ぎない。一友人以上の関係をいうには、あまりにも性急過ぎるかも知れない。〉と考えた稔には、反論のすべがなかった。
 稔は高校時代に、自分自身を主人公のモデルにした小説を書いた。その中では、「宏子」がヒロインであった。しかし、「宏子」と現実の宏子の関係は、稔が親友の一人、里内敏夫と宏子を訪問した経験を大幅に修飾して利用しただけで、「宏子」を描写するに当っては、何人かの元級友や当時の級友たちの容姿、言動や、稔自身の想像をもとにしたのであった。それにもかかわらず、野間繁行は、「宏子」のモデルは菊池宏子だと友人たちに言いふらした。それとともに、稔の心の中でも、「宏子」が一友人以上の関係となるべき女性の理想像となり、それが現実の宏子と重なって行った。そして、創作完了後三年目のこの夏休みに、稔はようやくヒロインの「モデル」をよく知り始める機会を得たのであった。
 この休暇中の短い交際で、稔の理性は、「宏子像」と現実の宏子の間には、厳しく比べれば、ずれがあることを見出すに到った。しかしながら、彼の感情は理性のその発見を無視しようとしていた。理性の側でも、理想像が修正の必要なものでないかどうかに自信がなかった。そのため、彼の悩みには複雑なものがあった。

 約束の日、宏子の家を訪れた稔は、「悩み」については何もふれることなく、読書や勉学の話題についてとりとめもない雑談をした。宏子の方でも、その日の話し合いはそれでよいのだと思っていた。



 9月5日(月)晴

 フランス映画「悪魔のような女」と「妄執の影」をみる。「悪魔のような女」の原題は "Les diaboliques" と複数形になっているのだから、その題名が頭にあれば、事件の解決がもう少し理解しにくいものとなって、最後の場面までなぞが持続したかも知れない。しかし、字幕で原題を一応読みはしたものの、邦訳題名から受けた単数のような感じが観覧中つねに意識の中で強く働いていた。それで、校長の洋服がクリーニング屋から送り届けられたあたりで、すでに悪魔という言葉は情婦ニコールと結びつくのが適当だと判断されてしまい、終りの場面ではあまり驚かなかった。校長が浴槽から起き上がる場面はまことにグロテスクだったが、迫力のある場面は、同じアンリ・ジョルジュ・クルウゾウ監督の「恐怖の報酬」よりも少なかった。
 「妄執の影」は女曲芸師エレーヌが愛と真実の板挟みのもとで、どのような行動をとらなければならなかったかが、面白い主題を構成していた。
 歯医者からの帰途、「神殿」へ寄った。Minnie は友人の家へ行っているとのことだった。「手紙を持って来たのですが、もう少しつけ加えておきます。」と、小母さんにいって、勝手口の前に立ったまま、次のように書き加えて渡して来た。
 「パンセの読書会、途中までしか進みませんでしたが*、あとは暇なときに適当に読んでおいて下さい。先週の月曜日に Jack が写したあなたの写真は、よく撮れていましたね。土曜日に彼の家へ行ったところ、この中からどれでも持って行ってくれといったので、ヤギと一緒に写っているのをまず選びました。彼は "Stray sheep だな" と冗談をいいましたが、幸い sheep ではなく、goat のようです。」
* (原注)断章269

 9月7日(水)晴

 Ich werde aufgeweckt.
 しかし、まだ空気が不足しているような感じである。思案橋付近の空気が希薄であっては困る。
 営み。笑い。自然さ。成長。そして強烈さ。

 9月8日(木)曇

 敢行と抑制と、いったいどちらが難しいのだ。まったく同程度ではないか。じつに奇怪な事態だ。が、いまはいっそう困難な方の困難さを乗り切る勇気が問題なのではない。与える印象が問題だ。好印象を与え得る自信があっても、悪印象を連想させる方法でそれを行うことは、避けた方がよくはないか。また、精神にその自信があっても、時間的環境がそれに対して大いに阻害的に働くようにも思われる。… Sam のところで買った JNR という文字を含んだうす赤い模様のある2枚の厚紙を早く使いたい。… Stray sheep でないことはない。そして「三四郎」の結末か。
 「前へ進めサヴォア兵!」
 空想の半ばを行ったあとで、…。ピアノの鍵のようには並んでいない代物。
 さて、人間はむなしい、か。クレオパトラの鼻の価値は何だ。
 自分を schonen(独)しよう。

 9月10日(土)曇

  昨日、アルバイトで得たものの1割5分を奮発して、一つの瞬間をその中へ収めて、それをいつでも鑑賞することを可能にする器を求めた。Stray goat …。

 9月27日(火)

 "Mancher von meiner Leser gehort wohl mit mir der gleichen Generation an, und er wird vielleicht verwundert daruber, welches Bild von einem Teil des damaligen jungen Deutschlands ich entwerfe, denn schon damals ist es so, dass Teile fremd nebeneinander herlebten, und dass auch die eine Jugend der andern entfremdet war, nichts voneinander wissen wollte und wusste."

 Damal とはいつのことだろう。Teil とは具体的には何を指すのだろう。文章の構造と単語の意味に疑問はなかったが、上記のような不明点の存在のために、訳出しても一向に面白みの感じられない応用問題であった。

 9月28日(水)雨のち曇

 "Little did Christoffel, Ricci and Lev-Civita, as they played with new symbols and strange combinations, dream the extraordinary role the theory of absolute differential calculus was destined so soon to play in the new Einsteinian mechanics."

 奇妙だと感じながら、正しくはその意味だと信じて、mechanics に応用的な学問分野の訳語を与えたのは大失敗だった。Absolute differential calculus などという真面目なことに関連しているので、played with をそのままの意味に訳すとおかしいように思って、dealt with の意味に訳したが、played with という調子は、ここではむしろ尊重されるべきだったかも知れない。Boccaccio を思い出せば、Ricci と Levi-Civita を正しく仮名書きできただろうに。(Levi-Civita という名は、映画 "A star is born" の中で、後のノーマン夫人が、女優になったときに与えられて、眉をしかめて二度つぶやき、三度目に希望の色を顔に浮かべながらもう一度つぶやいた彼女の芸名 Vicky Lester を思い出させた。)

 10月3日(月)曇のち雨

 地学、"sub-" を "extra-" と書いてしまった。

 10月4日(火)

 "Gestern kam ich dazu, wie der Onkel Mammi kusste, — sie wehrte nicht, ich glaube, sie hat ihn wiedergekusst. Ich habe meine Augen zugemacht, damit sie denken sollte, dass ich hatte nichts gesehen, aber sie sah wohl gar nicht, dass ich da sei. Dann bin ich leise fortgegangen."



 10月5日(水)

 Appeler, tu iras, Ces tableaux ont ete faits . . ., peindre.

 10月6日(木)

 ∫exp[−C'2/(2kT)]CrdC' (Cr = C'−C

 10月10日(月)雨のち曇

 CH3CH2CONH2 -> CH3CH2NH2 の過程は Hofmann の分解を書いたが…。
 青竹にわずかばかりの絹を巻きつけたような感じの女性が、うす暗闇を背景に突然視野に闖入してきたので、二筋のワラほどの好奇心を持って、じろりと見やった。すると、青磁の花瓶が、こちらへ向かって白い歯を見せたので驚いた。(注:Abe と夕食から帰る途中、近所に住む彼の知人の娘さんに出合い、彼女が Abe にほほ笑みかけたのだった。彼らは二言三言、言葉を交わした。)

 10月14日(金)雨

 昨日とは雲泥の差の出来。出来ということばが使えない位の出来具合。よい反省の機会だ。いささか高慢であった。この瞬間からそういうことをなくしよう。多くは書き留めないが、きょうは記念すべき日でなければならない。

 10月16日(日)晴

 n 次元の球の体積を計算する。V = πn/2rn/Γ(n/2 + 1)

 10月22日(土)晴れたり曇ったり

 試験の頃、青木君は「後期から勉強しよう」と何度もいっていたが、この「から」という助詞は、じつによくわれわれに希望を与えてくれる。永遠の緊張への門出。

 11月12日(土)晴

 昼食後、原子力展パネル下見のため新徳館へ集まることになっていたが、時間までにはまだ間があったので、図書室へ行った。南窓際の机に西側を向いて、見慣れない、感じの悪くない女性が腰掛けていたので、東窓際の机の、彼女の見える側に坐った。カバンから「ファウスト」を取りだしたが、目はこの文学作品の上には注がれないで、自然の創造物の上に吸引されていた。室内には他に数名の学生がいるだけだった。と、ぼくのいる机より一つ北の位置に対応する、西側の机に、吉田君がいるのに気づいた。彼は最近物理にかなり専念しているようなので、田村先生のプリントにあった不可解な箇所、

E2gradε = grad(εE2)−2(D・nabla)E

を聞いてみようと思って、そそくさと紙片を取りだし、この式の想起に努めた。文章をひねり出すときのように、よく晴れた空を窓からじっと見つめながら。しかし、上記の式がどうしても正しい形では出てこなかった。そのとき、彼女は読んでいた本をしまって立ち上がり…。

 11月28日(月)雨のち晴

 人間に可能な限りの堅い決意を決意しよう。58.5 kgの質量と、それに付随するエネルギーと、それらの運動と変化との誤りのない支配。

 12月25日(日)曇のち雨(注:金沢で)

 心の、悪くない動揺。

 12月26日(月)曇一時小雨

 昨日とは異なった服装の Minnie には、ヤギと一緒に写っている写真におけると同様の牧歌的雰囲気があった。
 昨夜 Sam へのハガキを書いたが、きょう彼のところへ寄る機会が思いがけなく生じて、投函する必要がなくなった。次の箇所だけをここに書き写しておく。
 「ぼくの趣味は何かと問われるならば、人間の心の研究だと答えたいと最近思っている。文学作品中の精神状態の描写をとくに興味深く読んだり、自らの心を分析したり、友人が彼自身の心奥の現象について語るのを注意して聞いたりするのが、その具体的な形式だ。この趣味の発露として、きょう…。」

 1956年1月22日(日)(注:京都で)

 Sam へのハガキ。

 冬休みの終りには、政治学の宿題を手伝ってくれてありがとう。お陰で大助かりだった。翌日、後半を訳し、こちらへ来てから全体の検討と訂正を行って、分からないところが何ヵ所か残りはしたが、学生生活における文科系の科目の最後の厄介な宿題を、どうにか終えることができた。「文科系の科目の最後の」と書いたのは、4月からは専門課程でもっぱら物理学ばかりをやることになるからだ。しかし、理学部の物理、化学、数学、動物、植物等の8学科のうち、物理学科への分属希望者は目下、採用予定の30名を4名越えており、試験があることになるかも知れない。それで、われわれの間では、ぜひとも全員が希望通り進めるようにと、分属委員というものを選び、その委員を中心に、希望者が一丸となって各教授を訪問し、いろいろ交渉している。近いうちに湯川教授をも訪れるだろう。分属問題のこのような状況に加えて、学年末の試験も間近に迫っており、高校時代以来、一ヵ月近くも続けて空白にしたことがなかったと思う日記帳も、今年になってからまったく開かなかった。一人だけの下宿でならば瞑想に沈潜するような時間が、いまの下宿では Abe との会話によって消費されるということも、日記帳の開かれない、あるいは開く必要のない原因となっている。が、最近ぼくが自分の趣味と呼ぶことにしたいと思っている「人間の心の研究」に関する活動や、実験や、瞑想は、休暇になったら、また大いにやりたいと考えている。われわれのいつもの通信の主題である、生活の中に見出したことがらについての、ユーモア味ある思索を記述するスペースがないので、以上の無味乾燥な報告だけで、この通信を終えなければならない。


 日付なし(2月末頃)

 君の条件が不可能でないことだけ分かった。百万遍付近で、4.5畳、他に下宿人一人、1500円というのと、6畳、他に下宿人なし、2200円というのがあった。どちらも一方の条件はみたしているが、他方の条件を惜しいところで欠いている。明日、また活動しよう。(注:私が Abe と同室の下宿屋を出て、理学部裏へ引越すことになったので、彼にも適当な一人部屋の下宿を探していたのである。)

(2001年6月16日掲載、7月19日修正)

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充実の条件

 3月2日(金)

 京都市美術館で西洋美術名作展を見る。抽象絵画、経験外世界からの美の導入の試み。存在の具体的形象の無視。要素が何であるかを問わないで、それらの集合について論ずる数学に似る。光の二次元構成。光子の種々な振動数、曲線、平面内への曲面の写像。それらと人間の感覚との結合効果。

×     ×

 クリーム色の壁、落着いた植物模様のカーテン。明るい部屋である。ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を額に入れる。奇妙なところで「絶対の嗜好」が顔を出す。

 3月4日(日)晴

 瞑想の時間を再び見出した。今度は、この静寂の支配者としての自分の心が、その重みを失うことを警戒しなければならない。そして、適当な会話を求めるための努力をする必要もある。

×     ×

 芥川竜之介「河童」。この奇怪な仮想動物の社会が、精神病者の幻想の世界を巧みに作りだしている。そこに織り込まれた、この仮想動物を仮想した動物の社会の矛盾への鋭い風刺。
 「地獄変」。自分の仕事に対しては、狂おしいまでに熱中する絵師良秀の、人間性からの逸脱において完成されなければならなかった作品に伴う悲劇。漱石の「虞美人草」にみられるような「道徳」による判決といったものが感じられる。
 漱石「明暗」(お延がお秀を訪問しているところまで)。心理作用展開の(とくに会話での)細かな分析的把握が、家庭的断面においての人間生活という繊維物質を、顕微鏡下にさらす働きをし、作品自体がまた、縦糸横糸の緻密精微に交錯した織物の構造を呈している。

 3月8日(木)晴ときどき小雪(注:金沢で)

 Sam へのハガキ。

 News value という語に似せて compliment value という語を用いるとすれば、このもののはなはだ低い言葉になるが、競技会での入賞おめでとう、といわせて貰おう。君の「脳力」が君の資質という質量につねに働きかけて、それにますますの向上という加速度を生じさせていることを、いつもながら頼もしく感じた。
 物理学科への分属も決定し、学年末試験も終わって5日に帰省した。きょう、前のハガキに書いたような自分の趣味の発揮の一つの計画に対する協力を求めるため、「神殿」を訪れた。ところが、その内容が彼女にとってもたいそう好都合なものであると思われたにもかかわらず、二つの納得できない理由のもとに断られた。かなり粘って、それらの理由を覆そうといろいろ試みたが、拒否の意志の強固さは、崩しようがなかった。こちらは、自分の提案に対する賛辞は見出し得ても、その提案を押し通さなければならない理由は持たなかったので、残念ながら、希望は反対意思の前に、ひとまず敗退した。——このような失意の経験も、この、趣味としての研究を完全にするために必要なものであったと思わなければならない。——「愛は人生の波瀾にして友情はその憩いなり」という言葉を何となく思い出しながら記した。休日にでも、ぜひ遊びに来てくれ給え。


 3月16日(金)

 ヤコブセン「死と愛《ニイルス・リイネ》」(山室静訳、角川文庫)読了。憧憬と幻滅の激しく忙しい交互到来。「魂というものはつねに孤独であるという侘びしい真理」が一人の自由思想家を押しつぶす。

×     ×

 Abe への手紙。

 緩やかな起伏の連続体となって堆積し、周囲から融解によって蝕まれながら、きわめてゆっくりとした縮退を続けている庭の雪の塊の上に、近くの銭湯の煙突から飛来した煤煙などが付着している。その様子は、残雪の起伏の尾根を境界として、一方の斜面と他方の斜面では、斑々とした密度を異にして、鳥瞰図にみられる陰影のような模様を作り出したり、かなり平坦なところでも、小区域のはなはだ黒い円形のしみを散在させたりしていて、細粒落下のそうした確率分布は何に影響されているのだろうかと、考えさせられる。昨日もきょうも、気温は低くはなかったが、きょうの空は一面に灰白色だ。
 試験後には、君の思いもかけなかったことを言い出して、ずいぶん迷惑をかけ、すまなかった。君を困却の状態に陥れて、幾日かを浪費させながら、ぼくが何も協力できなかったということも謝らなければならない。君の読経の効験の有無に判定の下る日に、それが現われることを切願しながら、ぼくは帰省した。法華経の任意の箇所を開いてページ数の各桁の和を算出して行った占いは、成功しただろうか。
 下宿移転の意図を君に知らせるために読んで貰った走り書きの中で、ぼくは「より充実した云々」と書いたし、また、あれを読んだ後、「フレッシュ」(注:大学近くにあった洋風外食券食堂)からの帰途の君も「君に充実して貰うために探そう」といってくれたので、ぼくは自らの言葉と君の好意との二つに背かないためにも、大いに充実しているべきところなのだが、その前に、その充実を完全なものにするために必要な条件を整えるもう一つのことを、この休暇にしなければならなかった。この調整は、その主要な着手だけが、すでになされたので、過去形で書いた。しかし、その完成はまだなのだ。そのため、いまは、かえって「充実」から遥かに遠い状態だ。またまた「待つことの地獄の責め苦」である。(調整着手の件について、ここに書くつもりで下書きをしてみたのだが、あまり長くなったので、記さないことにする。)
 「充実」とはいっても、「繊細の心」(「パンセ」の中で心を二種類に別けて、その一方にパスカルが与えている名称で、他方は自然科学的態度を示す心で「幾何学の心」と名づけられている)の面における会話の相手を求めて、君をときどき訪れるだけの余裕は十分残しておくから、今後もいろいろと啓発してくれ給え。



×     ×

 「夏空に輝く星」続編の一断章(2)。

 〈「こうなってはもはや心の平和も…、つきまつわり…。」〉ゴットフリート・ケラーの「緑のハインリヒ」の中に見出した文を断片的に思い出しながら、稔は〈この文が描写している精神状態、最近のぼくをまったくとりこにしている魂のこの状態を除去するためには、「告白」こそが必要であり、それを敢行しなければならない。〉と考えた。
 サマーセット・モームの「人間の絆」の中に、主人公フィリップが思わぬときにこの種の「告白」をしたかのような状況を作りだした喜劇的な場面があった。フィリップがドイツへ勉学に行っていたときのこと、彼と同じ下宿にいる娘たちの中では彼が一番好きだったヘドヴィッヒ嬢が、いつものように下宿の客間に他の女たちとその晩も集まっていた。彼女たちはめいめい歌を唄った。ヘドヴィッヒ嬢はお得意の "Ich liebe dich" を唄った。その後でフィリップは彼女と並んでバルコニーで星を眺めていたが、何か一言その歌についていわなけらばならないと思って"Ich liebe dich" と切り出した。しかし、彼のドイツ語は自由でなく、そこで休止が永久に延びた——というのだ。
 稔も同様な言葉を宏子と気軽に交わしたことがあった。それは、わずか8カ月余り前のことだった。宏子の家を訪れて、大学で習っている第2外国語の話をしているうちに、稔は彼の大学のエスペラント語サークルが行っていた展示会を思い出した。"La Kappo" というような題名で、芥川竜之介の「河童」のエスペラント訳が展示されていたことなどを話した後、稔は
「エスペラント語を知らなくても、"Mi amas vin." といえば、何を意味するか見当がつくでしょう。」
といった。宏子は軽くほほ笑みながら、
「"I love you." ?」
といった。それは、他愛のない遊びであった。しかし、いまの稔は、同じことを宏子に真剣に伝えようとしていた。
 その日の午前、稔は先日宏子から借りた本を急いで終りまで読んだ。彼はけさひげをそったし、また、朝のうちは雲がときどき切れて、明るい日光が誘惑者のように微かにその姿をちらつかせもした。稔は、昼食後しばらく、「解析概論」に打ち向かった。しかし、1ページも読み進むことは不可能だった。服を着替えた。鏡の前でいろいろな表情を試してみた。本と一緒に予め用意したものを風呂敷に包み、そして、出かけた。少し回り道をした。門を入って2階の窓を見上げた。稔は高校時代、小説「夏空に輝く星」の中に、"Vega" が2階の窓辺で外に背を向けて歌を唄っているのを稔と敏夫が見上げたという場面を書いた。そのときには、その場所のモデルになっている宏子の家にも、実際にそういう位置に窓があったことを知らなかった。しかし、現実の窓の内側の様子は、架空のものとは異なっていて、何気なく見上げた稔の目には、ちょうどその窓の下にある机に向かっていた宏子の顔だけしか映らなかった。
 宏子はすぐに訪問者を認め、その顔はふいと消えた。が、顔はもう一度現われ、目を細めるようにして、来客が誰かを確かめた。稔は声をかけようとしたが、机越しの彼女の顔は窓から遠く、半ば室内の薄暗さの中にあった。そして、それは再び消え、階段を降る足音に続いて、勝手口の戸がすっと引き開けられた。宏子は多少当惑的な面持ちで挨拶した。稔は「死と愛《ニイルス・リイネ》」を宏子に返した。宏子は
 「どこかへ行って来られたところですか。」
と訊いた。稔が、そうではない、と答えると、宏子の顔には、いささかの恐縮の色が浮かんだ。稔は宏子の勉強が進んでいるかと訊いた。進んでいない、と宏子は答えた。そこで、二人は黙り込んだ。稔は靴のかかとを鳴らしたり、傘を振ったりした。空を見上げても、目には空は映っていなかった。適当な切り出し方はないものかと考えた。しかし、ダメだった。頭に上ってくるのは、過剰の血液だけで、妙案ではなかった。とうとう宏子は
「何もお話することないんでしょう。」
といった。稔にとっては心外な言葉だった。彼女とならば、永遠に話し続けても話がなくなったりはしまい、と思う稔の心境が、宏子には届いていないのだ。そこで、劇的な切りだし方ではなかったが、稔は手紙を持って来たことを告げた。そして、
「読みたいと思いますか。」
と尋ねた。
「だって、読ませるためにお書きになったんでしょう。」
と彼女はいって、読む意志のあることを示した。〈これは愚かな質問だった。かつて同様の場面を想像し、この通りの質問をして、この通りの回答を彼女のものとして自ら与えてみたことがあったではないか。〉と稔は思った。そして、
「読まなくても、何が書いてあるか分かるでしょう。」
といってみた。宏子は不快げに首を振って、
「分からないワ。」
と答えた。〈これも、この通りの答しか予期できなかったものだ。〉と稔は思った。彼は返したばかりの本を、無言で奪うようにして彼女の手から取り、いくらか手間取って、そのヤコブセンの作品の「それはあの、魂というものはつねに孤独であるという侘びしい真理であった。」(「死と愛《ニイルス・リイネ》」山室静訳、角川文庫による)という箇所を探し出した。稔はそこを宏子に指し示して、
「ここに真理と書かれていることは、ほんとうに真理だと思いますか。」
と訊いた。
「ここだけ読んだのでは、分かりませんが。」
と宏子はいった。稔はそんなことはないだろうということを表情で示した。すると彼女は、
「真理である場合もあり、真理でない場合もあるでしょう。」
といった。稔は、
「真理だといって述べている内容は、それが正しければ真理ですが、間違っていれば、真理ではない。どちらかでなければならないのではないですか。」
と主張した。彼は、ある命題は真か偽のどちらかであるという、論理学の古典的な論法を尊重していたのだ。(宏子の答えたような考え方が、自然科学の分野でも重要になってきたことを稔が知ったのは、それから何十年も経ってからであった。)宏子は稔の論法には必ずしも納得できなかったが、とっさにうまい反論が思い浮かばなかったので、また
「分かりません。」
といった。
 そこで稔は、白い封筒を風呂敷から勿体ぶって取り出した。中には便箋七枚に託した彼の感情が封入されていた。彼は頬が熱くなるのを感じた。決心するように、その白いものを左手の人差し指と中指との間に挟み、内側へ向けられていたそれらの指を手の甲と一直線にする運動とともに、何もいわないで彼女に差しつけた。彼女はそれを受け取った後、両手で優しく持ち直した。稔は自分がその封筒であったらよかったと、ふと思った。宏子は
「返事が要りますか。」
と訊いた。稔は彼女の物慣れた言い方に多少驚きながら、また、稔の知っている中学二年生頃から、仲の良い男子生徒たちが集まればよく話題に上った愛らしい才媛だった宏子には、このような経験がすでに何度かあったのかも知れないとも一瞬考えながら、要ると答えた。
「送りますワ。」
と宏子がいった。
「送る?」
と、稔はちょっと困惑して彼女のことばを繰り返したが、
「いつまでに?」
と、質問をつけ加えた。宏子は
「近いうちに。」
と答えた。稔は急いで別れを告げ、ほとんど規則正しい回れ右をして、なぜか靴音をわざと強く響かせて、さっさと門を出た。そして、頬の熱の冷めないうちに家へ帰り着いたのであった。


 4月3日

 真木君への手紙。

 冬の間冷たい白色の敷物の下で眠っていた大地の間々から、また、灰色の空の中に褐色の裸体を寒々と曝していた木々の枝々から、活発な細胞分裂を伴って植物の若々しい生命が躍り出す季節が、陰うつな天候の日の多いこちら北陸にも、ようやく到来した。大学生活4年間のちょうど中央に介在するこの休暇も残り少なくなったが、勤勉な君は毎日を有意義に過ごしていることだろう。ぼくは自分の趣味は人間性の研究だなどと、こちらの友人たちに揚言をして、休暇中にはたいてい勉強は半ば放擲して、文学書に読み耽ることにしている。昨年の夏季休暇中にも、中学・高校時代からの友人たち3人を集めて、"L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant, . . ." というのがその中の有名な一節である書物の読書会を毎週一回行って、愉快に議論し合い、フランス啓蒙時代の学者たちがよく集まったサロンを連想して、いい気になっていたのである。
 この休暇にも何かそのようなことをと思ったが、今度は3人の友人たちを毎週集めることが難しかったので、その中の一人の女性の友人に聖書を英語で一緒に読まないかと提案した。ところが、読めばほんとうにいいのだが、いまは読みたいと思わない、という奇妙な返答を受けて、「罪と罰」のラスコーリニコフとソフィア(これらの名前のぼくの記憶は誤っていないだろうか)(注:ソフィアはソーニャが正しいと、真木君が返信に書いてくれた。)を思い出させるこのロマンティックな試みが実現できず、おおいにがっかりした。そして、失恋した青年が経験するにも似たぼんやりした精神状態の中の彷徨を続けているうちに、何の成果も挙げ得ないで、この休暇が大半過ぎ去ってしまった。しかし、こういう失意の経験も人間性の研究の一つの成果といえないこともないと勝手な解釈をしている。他方、勉強の方の成果はどう解釈してみても、わずかに「解析概論」の中の未読だった「解析函数」「フゥリエ式展開」の二章を読んでみた以外には、全然これといったことができておらず、恥ずかしい次第である。
 一昨々夜、つれづれなるままに「現代物理学」の力学偏(上)を開いて、物体の回転によって、その大きさが変わらないという実に明らかなことを意味する等式[18ページ(4.14)]の、回転を表すディアディックス(4.18)式を用いての証明を行ってみた。これは少し長々とした退屈な計算でできたのだが、それに使った16ページの r' の式と、その次の(4.8)式を検討してみたところ、後者からは、前者の式の最終項の符号が逆のものが得られた。r' の式は、その上からの記述で正しいはずだから、(4.8)式の最終項の符号が誤りではないだろうか。また、同書の33ページ12行「閉曲線を無限に小さくとれば、力が何であろうと積分は小さくなり、しかも閉曲線の径の2次の無限小量となる…」というところが、なぜそうなるか分からない。君が分かったら教えてくれ給え。
 疑問を書き始めたついでに、友近先生の「ベクトル解析」の中にあった不可解点も書いておこう。ぼくがつまらない誤解をしているようだったら、指摘して貰いたい。
 69ページ下1行から70ページにかけて、…(注:式が多いので省略)…。したがって、(14.5)式以下の記述に支障が生ずるように思う。
 また、111ページの(24.1)式の証明における112ページの1〜2行をみると、…(注:式が多いので省略)…。既知とされていることとわれわれの証明して欲しいことが逆になっているように思われる。(24.3)式の証明にも同様な疑問がある。
 講義がいよいよ専門化する新学年を楽しみにしている。13日に上洛するつもりだ。また、いろいろ啓発してくれ給え。

 [4月23日頃]

 Lotusへ。

 お便りありがとう。一年の中の春であるために柔らかく、一日の中の夕刻近くであるためにものうげである陽光に軽く包まれて、どっしりとうずくまっている比叡山を見ながら、この返信を書いている。こちらも十六日から新学期が始まった。この一週間は講義がまだ本格化しなかったが、間もなく数式や真空管がぼくの目や手をとても忙しくさせてくれるだろう。自然を対象とする物理学を学んでいるかたわら、ぼくは最近、自分の趣味は人間の研究だなどと揚言して、文学に対する興味を失わないつもりでいる。「青色のリボン」の作者であった君から、また何かと啓発して貰わなければならない。夏休みにはぜひ会おう。お元気で。

 Minnieへ。

 今度はあなたからとお願いしたが、新しい下宿をいい忘れたので、やはり私(武者小路実篤があの年齢でまだ使っている「ぼく」という一人称の漢字は当用漢字にはないから、一人称の使い方では実篤流にするつもりだった私も、書くときには「私」とすることにした)から出さなければならなかった。が、わざわざ絵葉書を使って、まとまったことを書かないですむようにした。いつも何かを私に摘み取らせてくれるあなたの長いお便りを待っている。

(2001年7月19日掲載)
(2014年10月5日,一部追加)

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