大学生時代(4)
ストレイ・ゴート
1955年8月31日
「夏空に輝く星」続編の一断章。
(注:この部分と、後で出て来る同じ形式の文は、ウエブサイトへの掲載に当って比較的大きな書き換えや追加を行っている。)
稔「先ほど野間君と帰って来られたのにお会いしたとき、ぼくも散歩していたといいましたが、じつはここへ来るつもりだったんです。京都でいただいたお手紙に、朝目が覚めると砂利をかむような気持だとありましたが、その後いかがですか。」
宏子「あまり考えないようにしています。考えれば、やはり暗い気持になりそうで、…」
稔「この夏休みに最初ここへ来たときは、あなたのその気持が治ればいいと思っていたのですが、…ミイラとりがミイラになってしまいました。」
宏子「……」
稔「水槽の水を汲み出す数学の問題は、やはりあの通りでしたか。」
宏子「それも、その後考えていませんでした。」
稔「…ぼくが、いま来たのをどう思いましたか。」
宏子「いま、ですか。」
稔「ええ、いまです。…何とも思いませんでしたか。」
宏子「……」
稔「どうなんですか。」
宏子「べつに、何とも。」
稔「そうですか。…ミイラとりがミイラになったといった、ぼくの状態はどういうものと思いますか。」
宏子「……」
稔「何とかいって下さい。」
宏子「そんなふうにいわれても、…」
〈こんな気づまりな状態で菊池さんと顔を見合わせていることになろうとは〉と、上田稔は思った。
稔「どうすれば治ると思いますか。」
宏子「症状がはっきりしませんでしょう。」
稔「何となく、悩ましい気になるのです。」
ここで、稔は宏子に対して、ある経験の有無についての質問をした。稔は後で、その失礼な質問を、時間をさかのぼって行って消去したいと、どれほど思ったことか。宏子は親切にも、稔と話し合う別の機会を持つことを提案した。
稔「いつ来ましょうか。」
宏子「水曜日では、どうですか。」
稔「それで結構です。何時に?」
宏子「1時半頃?」
稔「3時までは勉強する予定になっています。」
宏子「じゃ、3時半頃にでも。」
稔「話していたら、あまり悩ましくもないような気がしてきましたが、来ることにします。」
「話していたら」というより、宏子に会う新しい約束が稔の心をいくらか軽くしたのであろう。帰途、稔は〈悩ましいということを朗らかに表現しようとしても、どだい無理なことだから、あの気づまりな雰囲気は仕方がなかったのかも知れない〉と考えた。〈意外な会話に発展してしまった。彼女が野間君と散歩をしてきたことに、刺激されたのだろうか。そういえば、高校時代、里内君と彼女を訪問することになった遠因も、野間君が中学卒業の交換写真を彼女から貰ったと、ぼくに話したことにあったのだ。〉とも考えた。
翌日、稔は野間繁行を誘って、公園を歩いた。そして、こういった。
「菊池さんに独りで会わないようにして欲しい。ぼくの心がかき乱されて困る。」
繁行は答えた。
「それは、請け合えない。どんな必要があって、菊池君に会わなければならなくなるかも知れない。きのうは、先週のわれわれのハイキングで撮った彼女の写真がよく撮れていなかったので、撮り直して上げるために連れ出したのだ。それに、君の菊池君との交際は、学生時代を楽しくするための、一友人としてのものじゃないのか。」
〈請け合えない、というのは賢明な答だ。ぼくの要求が間違っていた。女性の友人が一友人以上のものに発展する可能性はある。しかし、ぼくが菊池さんと会ってゆっくり話す機会を持ち始めたのは、この休みになってからのことだ。そして、われわれは、まだ大学2年生に過ぎない。一友人以上の関係をいうには、あまりにも性急過ぎるかも知れない。〉と考えた稔には、反論のすべがなかった。
稔は高校時代に、自分自身を主人公のモデルにした小説を書いた。その中では、「宏子」がヒロインであった。しかし、「宏子」と現実の宏子の関係は、稔が親友の一人、里内敏夫と宏子を訪問した経験を大幅に修飾して利用しただけで、「宏子」を描写するに当っては、何人かの元級友や当時の級友たちの容姿、言動や、稔自身の想像をもとにしたのであった。それにもかかわらず、野間繁行は、「宏子」のモデルは菊池宏子だと友人たちに言いふらした。それとともに、稔の心の中でも、「宏子」が一友人以上の関係となるべき女性の理想像となり、それが現実の宏子と重なって行った。そして、創作完了後三年目のこの夏休みに、稔はようやくヒロインの「モデル」をよく知り始める機会を得たのであった。
この休暇中の短い交際で、稔の理性は、「宏子像」と現実の宏子の間には、厳しく比べれば、ずれがあることを見出すに到った。しかしながら、彼の感情は理性のその発見を無視しようとしていた。理性の側でも、理想像が修正の必要なものでないかどうかに自信がなかった。そのため、彼の悩みには複雑なものがあった。
約束の日、宏子の家を訪れた稔は、「悩み」については何もふれることなく、読書や勉学の話題についてとりとめもない雑談をした。宏子の方でも、その日の話し合いはそれでよいのだと思っていた。
9月5日(月)晴
フランス映画「悪魔のような女」と「妄執の影」をみる。「悪魔のような女」の原題は "Les diaboliques" と複数形になっているのだから、その題名が頭にあれば、事件の解決がもう少し理解しにくいものとなって、最後の場面までなぞが持続したかも知れない。しかし、字幕で原題を一応読みはしたものの、邦訳題名から受けた単数のような感じが観覧中つねに意識の中で強く働いていた。それで、校長の洋服がクリーニング屋から送り届けられたあたりで、すでに悪魔という言葉は情婦ニコールと結びつくのが適当だと判断されてしまい、終りの場面ではあまり驚かなかった。校長が浴槽から起き上がる場面はまことにグロテスクだったが、迫力のある場面は、同じアンリ・ジョルジュ・クルウゾウ監督の「恐怖の報酬」よりも少なかった。
「妄執の影」は女曲芸師エレーヌが愛と真実の板挟みのもとで、どのような行動をとらなければならなかったかが、面白い主題を構成していた。
歯医者からの帰途、「神殿」へ寄った。Minnie は友人の家へ行っているとのことだった。「手紙を持って来たのですが、もう少しつけ加えておきます。」と、小母さんにいって、勝手口の前に立ったまま、次のように書き加えて渡して来た。
「パンセの読書会、途中までしか進みませんでしたが*、あとは暇なときに適当に読んでおいて下さい。先週の月曜日に Jack が写したあなたの写真は、よく撮れていましたね。土曜日に彼の家へ行ったところ、この中からどれでも持って行ってくれといったので、ヤギと一緒に写っているのをまず選びました。彼は "Stray sheep だな" と冗談をいいましたが、幸い sheep ではなく、goat のようです。」
* (原注)断章269
9月7日(水)晴
Ich werde aufgeweckt.
しかし、まだ空気が不足しているような感じである。思案橋付近の空気が希薄であっては困る。
営み。笑い。自然さ。成長。そして強烈さ。
9月8日(木)曇
敢行と抑制と、いったいどちらが難しいのだ。まったく同程度ではないか。じつに奇怪な事態だ。が、いまはいっそう困難な方の困難さを乗り切る勇気が問題なのではない。与える印象が問題だ。好印象を与え得る自信があっても、悪印象を連想させる方法でそれを行うことは、避けた方がよくはないか。また、精神にその自信があっても、時間的環境がそれに対して大いに阻害的に働くようにも思われる。… Sam のところで買った JNR という文字を含んだうす赤い模様のある2枚の厚紙を早く使いたい。… Stray sheep でないことはない。そして「三四郎」の結末か。
「前へ進めサヴォア兵!」
空想の半ばを行ったあとで、…。ピアノの鍵のようには並んでいない代物。
さて、人間はむなしい、か。クレオパトラの鼻の価値は何だ。
自分を schonen(独)しよう。
9月10日(土)曇
昨日、アルバイトで得たものの1割5分を奮発して、一つの瞬間をその中へ収めて、それをいつでも鑑賞することを可能にする器を求めた。Stray goat …。
9月27日(火)
"Mancher von meiner Leser gehort wohl mit mir der gleichen Generation an, und er wird vielleicht verwundert daruber, welches Bild von einem Teil des damaligen jungen Deutschlands ich entwerfe, denn schon damals ist es so, dass Teile fremd nebeneinander herlebten, und dass auch die eine Jugend der andern entfremdet war, nichts voneinander wissen wollte und wusste."
Damal とはいつのことだろう。Teil とは具体的には何を指すのだろう。文章の構造と単語の意味に疑問はなかったが、上記のような不明点の存在のために、訳出しても一向に面白みの感じられない応用問題であった。
9月28日(水)雨のち曇
"Little did Christoffel, Ricci and Lev-Civita, as they played with new symbols and strange combinations, dream the extraordinary role the theory of absolute differential calculus was destined so soon to play in the new Einsteinian mechanics."
奇妙だと感じながら、正しくはその意味だと信じて、mechanics に応用的な学問分野の訳語を与えたのは大失敗だった。Absolute differential calculus などという真面目なことに関連しているので、played with をそのままの意味に訳すとおかしいように思って、dealt with の意味に訳したが、played with という調子は、ここではむしろ尊重されるべきだったかも知れない。Boccaccio を思い出せば、Ricci と Levi-Civita を正しく仮名書きできただろうに。(Levi-Civita という名は、映画 "A star is born" の中で、後のノーマン夫人が、女優になったときに与えられて、眉をしかめて二度つぶやき、三度目に希望の色を顔に浮かべながらもう一度つぶやいた彼女の芸名 Vicky Lester を思い出させた。)
10月3日(月)曇のち雨
地学、"sub-" を "extra-" と書いてしまった。
10月4日(火)
"Gestern kam ich dazu, wie der Onkel Mammi kusste, — sie wehrte nicht, ich glaube, sie hat ihn wiedergekusst. Ich habe meine Augen zugemacht, damit sie denken sollte, dass ich hatte nichts gesehen, aber sie sah wohl gar nicht, dass ich da sei. Dann bin ich leise fortgegangen."
10月5日(水)
Appeler, tu iras, Ces tableaux ont ete faits . . ., peindre.
10月6日(木)
∫exp[−C'2/(2kT)]CrdC' (Cr = C'−C)
10月10日(月)雨のち曇
CH3CH2CONH2 -> CH3CH2NH2 の過程は Hofmann の分解を書いたが…。
青竹にわずかばかりの絹を巻きつけたような感じの女性が、うす暗闇を背景に突然視野に闖入してきたので、二筋のワラほどの好奇心を持って、じろりと見やった。すると、青磁の花瓶が、こちらへ向かって白い歯を見せたので驚いた。(注:Abe と夕食から帰る途中、近所に住む彼の知人の娘さんに出合い、彼女が Abe にほほ笑みかけたのだった。彼らは二言三言、言葉を交わした。)
10月14日(金)雨
昨日とは雲泥の差の出来。出来ということばが使えない位の出来具合。よい反省の機会だ。いささか高慢であった。この瞬間からそういうことをなくしよう。多くは書き留めないが、きょうは記念すべき日でなければならない。
10月16日(日)晴
n 次元の球の体積を計算する。V = πn/2rn/Γ(n/2 + 1)
10月22日(土)晴れたり曇ったり
試験の頃、青木君は「後期から勉強しよう」と何度もいっていたが、この「から」という助詞は、じつによくわれわれに希望を与えてくれる。永遠の緊張への門出。
11月12日(土)晴
昼食後、原子力展パネル下見のため新徳館へ集まることになっていたが、時間までにはまだ間があったので、図書室へ行った。南窓際の机に西側を向いて、見慣れない、感じの悪くない女性が腰掛けていたので、東窓際の机の、彼女の見える側に坐った。カバンから「ファウスト」を取りだしたが、目はこの文学作品の上には注がれないで、自然の創造物の上に吸引されていた。室内には他に数名の学生がいるだけだった。と、ぼくのいる机より一つ北の位置に対応する、西側の机に、吉田君がいるのに気づいた。彼は最近物理にかなり専念しているようなので、田村先生のプリントにあった不可解な箇所、
E2gradε = grad(εE2)−2(D・nabla)E
を聞いてみようと思って、そそくさと紙片を取りだし、この式の想起に努めた。文章をひねり出すときのように、よく晴れた空を窓からじっと見つめながら。しかし、上記の式がどうしても正しい形では出てこなかった。そのとき、彼女は読んでいた本をしまって立ち上がり…。
11月28日(月)雨のち晴
人間に可能な限りの堅い決意を決意しよう。58.5 kgの質量と、それに付随するエネルギーと、それらの運動と変化との誤りのない支配。
12月25日(日)曇のち雨(注:金沢で)
心の、悪くない動揺。
12月26日(月)曇一時小雨
昨日とは異なった服装の Minnie には、ヤギと一緒に写っている写真におけると同様の牧歌的雰囲気があった。
昨夜 Sam へのハガキを書いたが、きょう彼のところへ寄る機会が思いがけなく生じて、投函する必要がなくなった。次の箇所だけをここに書き写しておく。
「ぼくの趣味は何かと問われるならば、人間の心の研究だと答えたいと最近思っている。文学作品中の精神状態の描写をとくに興味深く読んだり、自らの心を分析したり、友人が彼自身の心奥の現象について語るのを注意して聞いたりするのが、その具体的な形式だ。この趣味の発露として、きょう…。」
1956年1月22日(日)(注:京都で)
Sam へのハガキ。
冬休みの終りには、政治学の宿題を手伝ってくれてありがとう。お陰で大助かりだった。翌日、後半を訳し、こちらへ来てから全体の検討と訂正を行って、分からないところが何ヵ所か残りはしたが、学生生活における文科系の科目の最後の厄介な宿題を、どうにか終えることができた。「文科系の科目の最後の」と書いたのは、4月からは専門課程でもっぱら物理学ばかりをやることになるからだ。しかし、理学部の物理、化学、数学、動物、植物等の8学科のうち、物理学科への分属希望者は目下、採用予定の30名を4名越えており、試験があることになるかも知れない。それで、われわれの間では、ぜひとも全員が希望通り進めるようにと、分属委員というものを選び、その委員を中心に、希望者が一丸となって各教授を訪問し、いろいろ交渉している。近いうちに湯川教授をも訪れるだろう。分属問題のこのような状況に加えて、学年末の試験も間近に迫っており、高校時代以来、一ヵ月近くも続けて空白にしたことがなかったと思う日記帳も、今年になってからまったく開かなかった。一人だけの下宿でならば瞑想に沈潜するような時間が、いまの下宿では Abe との会話によって消費されるということも、日記帳の開かれない、あるいは開く必要のない原因となっている。が、最近ぼくが自分の趣味と呼ぶことにしたいと思っている「人間の心の研究」に関する活動や、実験や、瞑想は、休暇になったら、また大いにやりたいと考えている。われわれのいつもの通信の主題である、生活の中に見出したことがらについての、ユーモア味ある思索を記述するスペースがないので、以上の無味乾燥な報告だけで、この通信を終えなければならない。
日付なし(2月末頃)
君の条件が不可能でないことだけ分かった。百万遍付近で、4.5畳、他に下宿人一人、1500円というのと、6畳、他に下宿人なし、2200円というのがあった。どちらも一方の条件はみたしているが、他方の条件を惜しいところで欠いている。明日、また活動しよう。(注:私が Abe と同室の下宿屋を出て、理学部裏へ引越すことになったので、彼にも適当な一人部屋の下宿を探していたのである。)
(2001年6月16日掲載、7月19日修正)
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