IDEA-ISAAC |
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多幡達夫 |
高校生時代(1) 大学生時代(1) 大学生時代(2) 大学生時代(3) 大学生時代(4) 大学生時代(5) |
大学生時代(1) 文中「注:…」とあるのは、本サイトへの掲載に当たって書き加えた説明。頻出する親しい友人名は外国風の呼び名になっているが、いずれも日本人。それらの名は、もともと日記中においてのみ使用していたもの、本サイトへの掲載に当って呼び名らしく修正したもの、他の友人とのバランスのため新しく採用したものからなっている。"Abe" は「アベ」ではなく、Abraham の略称の「エイブ」である。 新米大学生 1954年4月1日(木)晴 三日間を振り返って記す。 3月29日。母と京都へ。3時頃、京大病院前の藤村旅館(受験中の宿に同じ)へ着く。往復に1時間ばかりかけて、母と理学部前まで歩いてみる。旅館へ帰って、「青い花」を数ページ読む。夕食後、7時過ぎに就寝。 きょうの記録。午後、Jack 来る。母と安江町へ鞄を買いに行く予定だったので、彼に一緒に来て貰う。帰りは Jack と二人だけで歩く。公園の中の織田君の家へ寄る。灯籠張りに忙しい彼の手を止めて、茶の上に会話を楽しむ。 4月2日(金)晴 Jack と白沢写真館で入学記念写真をとり、その足で武藤先生を訪れる。この訪問の意義は、われわれの成長の途中の姿を先生に見せると同時に、われわれの心の中に将来に挑む炎をいっそう強く燃え上がらせることであろう。それだけのことは十分にできたと思う。 ——「…あなた方の仰しゃることはよくわかって、すでに知っていることのやうにも思はれます。…」(ノヴァーリス「青い花」)——こういう感じも、3月17日に考察した心理状態の同類として、われわれ自身よく経験し、また、他の書物でも読んだことがあるように思う(この感想自体、この文の述べているのと同様のことだ)。 4月3日(土)うす曇 仙宝閣で秀峰会の集まり。1時からだと思い込んで行ったところ、12時からだったので、みごとな遅刻。それでも、受賞者の自己紹介に入ったばかりで、第1回の河合氏が話しているところだった。出席率は4割5分。上埜先輩は用事があるらしい様子で、早く退場した。森教授が junior course の意義を広い教養という点で説明された後で、三浦教授が「森先生の言われた通り」を繰り返しながら話した。それにもかかわらず、最後に「狭くとも深く」というガウスの言葉を、教授自身の信条であるとして持ち出されたのは、それ自体はよい言葉でありながら、この場合の前後関係からみて、しっくりしないものであった。 4月7日(水)うす曇ときどき晴 母、伯母、Jack、N さん(注:七尾に住んでいた時の一歳年少の幼友だち、金沢で高校がたまたま同じになり、母同士が再度親しくしていた)、その母、そして家の留守番のおばあさんまでが、ものものしく送ってくれたのは昨日の朝のこと。Jack が何度もいってくれた言葉、レインコートの下の肩が角張った感じに見えた N さんが顔を心持ち赤らめながらいってくれた一言(これらは同じことを意味する)、それには全く注意しなければならない。 たしかに1番の札を下げた電車に乗ったはずだったが、烏丸今出川へ来た時、今出川通りを直進せず、烏丸通りへ曲がってしまったので、びっくりして次の停車場で降り、烏丸中立売、烏丸今出川、同志社前、河原町今出川、加茂大橋、関田町、百万遍と歩いた。集合2時間前に伯父の家を出たので、時間は十分あった。それから、「時計台階下東端」で入学料を納め、理学部数学教室へゆうゆうと(少し汗してではあったが)行くことができた。 4月8日(木)曇 いろいろと心を用いる。 4月10日(土)晴 拙劣ではあっただろう。しかし、…。「しかし」というだけの、いや、それ以上の良心と、それに伴われて奮起する精神の力とは、自分の中にあるのだ。 入学宣誓式。学長の告辞とはもっと朗々たるものかと思っていた。しかし、内容の要点と、挿入された二三の機知的な言葉(「ムダ読みは教養の母」など)や表現は、期待にはずれないものだった。 4月11日(日)晴 下宿へ来る。夕食のことで失策。パンと卵1個ですませたことが、何十日間かの断食のように思われる。早く明日になってほしい。Octo と母から手紙が来ている。 4月16日(金)晴 昨日、Sam(注:高校時代に日記を交換していた親友。大学生初期のこの日記も、交換を継続するつもりで書かれたが、実際には交換は行われなかった)への手紙の中で、many ways of pronunciation と書くべきところを誤って書いた。新谷君へ手紙を書く。母へ葉書。菜の花畑を電車の窓から見ながら、校内の食堂へ夕食に通っている。 4月18日(日)雨 夕食からの帰りの車中で、「宇治に下宿していられるのですか」と、一人の学生に話しかけられた。彼は自分のいるところが、平等院の近くの蓮華の何番地とかだと教えた。眼鏡をかけていて、年上らしかった。ホームへ降りたとき、彼の襟章の E であることが分かった。改札口へ出る前に彼は、「あなたは新聞をどうしていられますか」と聞いた。「下宿で見せてもらっています」と答えた。彼は、「新聞を見ないと、社会から取り残されたような気がしてね」と、ありふれた感想を、それに重みを与えるような口調で述べた。ぼくは「は、はあ」といった。 「青い花」を読み終えたのは、まだ伯父の家にいた時だった。3年程前の日記中で「極度にロマンチック」という言葉を記したことがあったが、それは誤用といわなけらばならない。この小説こそ、その言葉の真の意味において、そう呼ばれ得るものである。 昨日、Jack へ手紙。きょうもそれに似た仕事。 4月19日(月)曇 あらゆることの意義を疑い、あらゆることの中に意義を認める。英語の時間、皆席に着いていたが教授が来なかったので、"If you allow me to make friends with you, I should be happy. I'm waiting for your answer." と書いた紙片を、少し前の席にいた堀野君に渡した。彼は振り返って、「よろしく」といった。 4月21日(水) 上品な紳士に恋をしかけたところ、それが意外にもわけなく成就したが、自分の粗野さのため、その成就をもてあましている女性を想像する。 4月22日(木)曇 Jack へ手紙。 4月25日(日) 争う、戦う、自分自身と。 4月27日(火)小雨のち曇 ひとりの人間の詩精神の欠如に憤怒を覚える。 4月29日(木)曇、夕方から雨 時間をきちんと使うための努力。私鉄ストのため2往復に1時間20分を用いる。昼食は宇治橋際で。25日にぼくに「sin a + cos a = (3/2)1/2の時 tan a を求めよ、というのはどうして解いたらよいのだろう。妹に手紙で聞かれたのだが、三角関数は苦手で…」と、情けないことをいっていた、やや大きめの顔をした文学部の学生とそこで一緒になって、少し語り合った。姫路の出身で、午前中、宇治川に沿って上ってみたそうだ。写生をしてみたかったとも言っていた。 5月6日(木)小雨 "High-School English" の習わなかった課の中にあった "Renew thyself everyday completely." という言葉を、それが持つ可能な意味において実践する。 4月29日に記した人物は、昨年入学して1年休学していたのだそうだ。神戸で空襲に合い、姫路に移ったことなど、もの静かにいろいろと話してくれる。思索的な話しぶりと、ユーモアを加味しようとする努力が好ましく感じられる。昨日の帰りに黄檗駅で彼がポケットからちょっと出した岩波文庫の赤帯が、ぼくが先日から読んでいるものと同じだったので驚く。彼は自分の読み方が速くないとこぼしたので、「ぼくもそうだ」といって、安心させる。 5月9日(日)雨 食事の直後に空腹のような感じ。どうしたのだろう。 5月13日(木)晴 今年の初め頃のラジオ歌謡にサトウ・ハチロー作詞の「よきよき歌よき夢もよき」とかいうのがあったが、そのように「よき」を連発したい気分だ。格別よいことをやってのけたのではないが。 5月17日(月)曇のち晴 心理学の講義は雑然としているので、いままでノートを作らなかった。しかし、教科書が試験前に繰り返して目を通すことの困難なほど丁寧に書かれた厚い本なので、教科書の要点を抜き書きすべく、まず序論から読んでみる。(欄外注記:抜き書も結局作らなかった。)そこに次の文がある。 5月18日(火)晴 「ジャン・クリストフ(1)」読了。P. 339にあった「丁寧な無関心さの空虚」という言葉。「丁寧な」に当たるものは欠けているが、それに似た態度を最近誰かにとられたようだ。しかし、そのことは気にかけない。 5月24日(水)曇のち雨 平静な気持で書く、4月27日と5月18日の記述は、ぼくの精神が4次元の存在で、ぼくという世界帯のきょうの部分をそれらの日々において「見る」ことができたならば、書かなかったことであろうと。人間であることは愉快なことだ。… 川畑教授がその最初の時間に話されたのといくらか類似した発生事情による、人間関係の一時的結果。これも気にかけまい。 5月25日(木)曇のち晴 (注:以下はSam への葉書に書いた話の続きとして書き記した。英会話の時間のこと。) 6月1日(火)曇 「ジャン・クリストフ(2)」p. 189「…僕は美しいものが好きなんだ。…」 6月9日(水)曇一時小雨 「紅孔雀」のテーマ音楽は、受験勉強の仕上げに忙しかった頃を思い出させて、懐しい。 (注:欄外メモ)無知の冷淡な傲慢さの表情。 6月19日 雨 昨日の広大名誉教授長田新氏の講演。発音の際に舌がいかに動くものかを示すように、口を大きく開けて話される。「原爆の子」の序文と同様の少し長い前置き。氏が京大へ入った時の初印象(「天皇陛下をありがたいと思うものは手を挙げろ。その二人出て行け。」)大学は国家の上に座ってこれを導くものでなければならないという話。「原爆の惨禍に対して、詩人や画家や作家や教育者(「私自身教育者だが」)は立ち上がって叫んだ。しかるに自然科学者や医者は何をしていたか!」(先に講演された湯川、中泉両博士はすでに退場していられた)「その中にあってただ一人、都筑博士の活躍がある。博士こそは日本のガリレオである。ジョルダーノ・ブルーノである!」という話(原爆に放射性毒ガスが含まれていたという主張を、マッカーサー司令官の否認要求にもかかわらず博士が持ち続けたという内幕的物語)。「沈黙は共犯である」という言葉の引用。 7月7日 7.7革命。 (2000年7月19日掲載) |
郷里での夏休み
7月13日(火) 図の着色部分の面積の比で出せるとすれば、πr2/4r2 = π/4 。Jack の推論がなぜ誤った確率に到達するか、指摘できない。 7月15日(木)曇のち小雨 Cauchy の鑑定法の証明の難解点、Jack に説明しながら考えることによって解決。数 C 演習問題 I の10、「行列および行列式」の定理7の証明を読むことによって理解。 7月16日(金)曇 メビウスの面では、いったいどんなことが起こるのか。「この紙切れをもう一つの工夫された紙面の上に接したままで裏返しにできるか」などとJack に聞いたが、そんなことができるはずもない。「一、二、三、…、無限大」を読んだときのぼくは、ソルカの魔術にでもかかっていたのか。 7月25日(土)晴 色聴者でなくとも、ありありと褐色を感じることができるような、音声の熱帯的な響きを、空中へ押し出すことが、なるほど巧みだと思われる人物ではある。 7月27日(火)晴 はなはだ手ぬるい革命だ。このことについて多くは書くまい。とにかく実行しなければならない。それ以外に道はない。 7月28日(水)曇のち雨 夜中に目を覚ました時にも、こういう進み方で全部やれるのだろうかと気にかかるほど多くの、夏休み中の自分への課題。しかし、けっして多過ぎはしない。 7月30日(金)雨 「週刊朝日」5月9日号(少し古いが、先日 Sam が話していた男女の服装にいくらか関係がある)
のトップ記事「男性に関する十二章」の付記「悩み多き男性生活」の中で、伊藤整は次のように書いている。 8月1日(日)晴 Octo を訪れる。途中、今朝東京から帰ったという永林先輩に合う。短いが感じの良い会話。「『新樹』を送って貰って、おたくの小説を読みましたよ」といっていた。三度も読んでくれたそうだ。その拙さはもとより、「月」が「力」となっているような誤植なども、あの作を彼にとって難解なものとしたことだろう。 8月3日(火)晴 荒間先生の家へ集まり「もと6年2組のわれわれで休み中にどこかへ行く相談」をする。岩崎教授嬢(彼女の容貌は父親似らしいことに気づく)を初め、洋裁学院や栄養学院へ行っている連中を交えた女性6人はなんとよくしゃべったことだろう。彼女らの有限な——量においてはもちろんだが、その深みにおいてはるかに有限な——話は、あたかも Heine-Borel の被覆定理がここにおいても適用されるかのように、われわれが集まっていた時間という閉集合をみごとに被覆し得るのであった。男性としては、他に竹部君が出席した。22日には上井君や荒木君も参加するだろう。 8月5日(木)うす曇ときどき晴 〜 7日(土)晴 Abe への手紙(注:以下の手紙文は、下書きと記録を兼ねて、まず日記帳に記したものである。): 活字の上にぴったりと引きつけられていた視覚と、ほとんど神経の集中の忘れられていた聴覚の活動対象をふいに窓外に向け、いままでたどってきた書物の世界の外へと飛翔させると、空間と時間の観念が夏の色彩と音の作用によって、互いに区別のないものとなって心を取り巻くように感じられる。セミが発する単調な連続音は、ある幅を持って空間を進んでいく3次元の存在のような印象を与える。また、繁ったイチジクの葉が強烈に輝く太陽から受け取ってその間にはらませている光の刺激は、ある時間的な量を提示しているかのように思われる。「時の襞」という表現を何かで読んだように思うが、相対性原理における時間軸と空間軸の可換性の観点からいっても無理ではないこの表現は、こうした折の感覚において直接理解できるような気がする。
登校下校時にいつも面白い話を聞かせてくれる君の友情に報いるために、気を配って筆を運び続けるうちに、思わぬ長い手紙になってしまった。以上の平凡な記述が君に示唆するように、ぼくは大学生としての最初の夏休みをごく淡々と送っているが、盆の15日を中心とした数日間は墓参のため田舎の親戚を訪れて、自然に親しんでくるつもりでいる。 8月8日(日)晴 紫錦台中の同窓会は、この間の幹事会によって、今年から13日以前に8月の第2日曜がある年にはその日に、第2日曜が14日である時には13日に行うことに決められたのだそうだ。後半の13日というのは、総会の席上、天川先生の発言によって、第1日曜と改められた。 8月10日(火)晴 プルキニェ現象の美しさ。それももう退いて、緑は黒ずんで来た。10日あまりの月。少しかすんでいる。 8月21日(土)晴 一昨日以来時間割がさんざん踏みにじられている。Lotus が、向かいの彼の叔母の家へ来ているのだ。彼の身体には不安の影が漂っている。胃が悪いとかで、大学病院にいる叔母の夫に相談に来て、きょう病院へ行ったそうだ。「たいしたことはなかったのだ」と言っていた。彼はどうして、毎日方々を落ち着きなく歩き回っているのだろう。どうにか明日の湯涌行き参加を承知させた、あすの晩東京へ帰るそうだが。(注:彼は結局不参加だった。) 8月26日(木)晴 沈静した精神をもって、Lotus からの簡単な葉書に返事を書く: もしも参加者たる傍観者という言葉があるとすれば、それは先日の湯涌行きの時のぼくを表現するのに適当な言葉だ。君が容易に想像できるだろう通り、その小旅行の間中ぼくはほとんど声を発しなかった。しかし、成人したミンナについて「ジャン・クリストフ」の中で述べられていた言い回しを借りるならば、「容積は大きくなって」いるが、小学校時代以来の性格を具有し続けている旧級友たちを静かに観察して過ごした一日は、ぼくにとって、けっして退屈ではなかった。 8月30日(月)曇のち雨 熱さの感覚はもう皮膚から遠ざかった。雨はしばしば、つねにいささかの重荷に押さえつけられているために生じがちなわれわれの心の表面の起伏を破砕し、混沌として凝固しているわれわれの感情的異物を分解する働きをすることがある。雨のその働きのためか、いまのぼくは、心の激越性を和らげられ、衝動的感情の岩塊を溶解された内環境を見出している。しかし、そのいくらか平坦にされた感情の表面にも、激烈性という礫をとらえた層が顔を出しており、その下を空想性という溶液が豊富に流れて、機会をみつけ次第、凝固しようとしている。 8月31日(火)曇 "Sublime is the dominion of the mind over the body." という "High-School English" の "Uncle Tom's Cabin" の中にあった一文章が口に上って来る。いままでにもそういうことはよくあった。しかし、それらの瞬間には、暗い恐怖が、自分の意志の弱さに対する不安が、つねに自分と共存していたので、そのことをこのノートに記すことは、あえてしなかった。 9月2日(木)雨 Jack から借りた「田舎教師」を昨日読み上げた。一つの小説の内容を短い言葉で要約することが許されるとすれば、花袋のこの作品については、貧困と病気の退くことのない攻撃に会った一青年を主人公とし、日露戦争を後半の時代背景とした、結末的には一つの生命の不運な寂しさを訴えようとしている物語とでもいうことができよう。一方においてロマン・ロランの大作を読んでいるので、その対比効果のためでもあるが、主人公清三の性格には、ひじょうな物足りなさを感じた。何らかの人生的問題が感動を込めて把握されていることを、われわれは文学作品に求めながら読むのであるから、これに応えるには、作品は、取り扱っている問題や経験において、ある意味での強烈さを持つことが必要である。ところが、清三の描写のどこからも、そうした強烈性は感じられない。われわれを特に引きつける何物も、彼には与えられていないのだ。 9月4日(土)晴 満足といくらかのあざけりの混合した様子を示しているやや大きめの、力を込めて閉じ合わされている唇。わずかの影もなく見開かれて、無邪気な快活さをたたえている瞳。眼前のものに対して、信頼と反発とを率直に表現するための道具となり得る鼻。(注:洋画を見て、主演女優の容貌を言葉でスケッチしたもの。次も同じ。) 両眉の中程から額の両端にかけてその最も稠密なところが存在する力の場に位置を占めている丸い目。淡い感じをもって開閉される口。好奇的に飛び出ている鼻。茶目っ気のあるくぼみを作っている頬。 9月7日(火)晴 使っている最中の日記帳を、下宿へ送るリンゴの空き箱に昨夜入れてしまったので、この紙片に記す。
しばらくの間忘れていた自分の思い出のささやかな楽しみに満ちた一片を、昨夜の NHK 第2放送9時からの番組が、脳の最上層にまで取り出してくれた。「ジャン・クリストフ」(4)の p. 212に、ジャンが愛していた聖書中の面影の一つ、青年期のダヴィデに対して彼が与えていた想像上の姿を記述して、「南方のジーグフリードであり」とあった。これを読んだとき、その名がどこかで読んで知っているもののような気がしながら、はっきりとは思い出せなかった。ところが昨夜、リンゴ箱に本を詰めたり、荷札に宛先を書いたりしているときに、いつもは聞いたことのないその時間の第2放送の番組が何であるかを新聞で探すと、「ジーグフリートの死」とあった。おやっと思ってスイッチを捻った。聞いているうちに、次第にある記憶がよみがえって来た。この不死身の勇士の背にあるただ一つの急所のところへ話が来たとき、記憶は全く明瞭になった。大連にいたとき、加藤さんの小母さんから借りて来た本で読んだのだった。昨年熟読した旺文社の「世界史の研究」の中世の文化を記した左側のページのなかほどに書いてあった「ニーベルンゲンの歌」の物語をかつて読んだことがあったのだとは、昨夜まで気づかなかった。 9月9日(木)晴 無垢の明朗さと童心への迎合性とを伴った、声の奇妙な遊戯——NHK ラジオ歌謡の中村メイ子の歌。 (2000年7月21日掲載) |
自信獲得への一歩 9月25日(土)曇のち雨 台風12、14号。御木本翁の死去。久保山さんの死。分校分割統合問題、滝川暴言。 9月27日(月)晴 試験始まる。独語、Programm の訳語がまずかった。 9月28日(火)雨 有機化学。Ethylene glycol だったか。硝酸銀の「アンモニア溶液」だとは覚えていなかった。酸で acetylene にもどさなければならないのだろうか。水では? 9月29日(水)晴 英語。「無実を信ずる」はまずかった。"Inexplicable" の見当をつけて書いた訳語は少しはずれていた。"Under the skin" は、「本質において」というような意味だろうか。辞書に見当たらないが。(注:「ランダムハウス英和大辞典」によれば、「一皮むけば、本心は」) 9月30日(木)曇 地学。基底礫岩、風化による花崗岩の褐色化、どちらもノートによく書いてなかったことだ。Basal conglomerate は、その名前だけを記してあったノートの位置から考えて、とにかく説明をつけておいた。「間隙連鎖」という訳語から考えられる意味は「間隙を埋めて前後をつなぐ」というものであるが、missing link という英語は、明らかに「欠如した連鎖」、すなわち、間隙そのものを指している。原語に従って説明しておくべきだろう。 10月1日(金)晴 独文法、簡単。 10月4日(月)晴 "Chips" は応用問題がなく、面白くなかった。 10月5日(火)晴 無機化学。Isomorphism という語の説明に、厳密にいえば law of isomorphism の説明になるものを書いた。どうせこのことは書かなければならないのだから、あまり減点されまい。しかし、Mitscherlich の名を書いておいた方がよかったに違いない。Gas constant を pV =n RT を示して説明したが、p0V0/273.1 で計算されることをつけ加えておいた方がよかったかも知れない。一問題は宮崎君が朝、食堂で「出ないかな」といったものだった。堀野君が周期律表を彼の青い下敷きに書き込んでおこうかといっている時、「硫酸銅の結晶で書いておいて、息を吹きかけたらいい」といって笑わせた真木君の、頭の回転の自由さには興味深いものがある。(真木君のホームページへ) 10月7日(木)雨のち晴 数学 B、2.718281 の小数第3位の8を9と計算間違い!(注:続いて2ページ余りにわたって、数式が書いてあり、最後に「残念!」とある。) 10月8日(金)曇 心理学の問題は少し人を食った面白い問題だった。Abe らの習っている佐藤教授の第一問は「現代青年のフラストレイションの根底にあるものについて表示せよ」とかいうのだったそうだ。 10月12日(火)曇 物理、演習の時間のような形式で。第二問不可解。 10月13日(水) 試験終わる。数 C 易しい。 10月24日(日) ラジオ歌謡「雪の降る町を」も、「蛍雪時代」の懸賞問題で得たブックカバーで覆った「化学の研究」や「解 I の研究」と取り組んでいた頃を思い出させる。全く、それは雪の降る町の歩行のようなものだった。そして、今も雪はけっして降っていないことはない。しかし、何が降っていても挫かれることなく前進するであろう。歩きにくい雪の上には、平坦な土の上を進んだときよりも、いっそう明瞭に自分の足跡が印されるだけのことだ。 (2000年7月22日掲載) 新しい親友 (注:この章と以下の何章かは、Abe の日記と交換し合う形で書かれている。ただし、同じノートに交代で書くことはせず、各自が二冊のノートを用意し、ある程度書きためたところで、一冊を相手に読んでもらうために渡し、その間、自分のもう一冊のノートを使用するという方法をとった。第二人称「君」は Abe を指す。) 11月3日(水)快晴 最近のぼくには何か精神の打ち直しといったものが必要だった。全く必要「だった」のだ。——いや、こうしたことについては、こまごま書くまい。君のように、内面に被覆しておくためにではなく、時間がないから書かないだけのことだが。—— 11月4日(木)晴 物理ゼミはちようど第1章が終わった(注:朝永振一郎著「量子力学」)。前期に何回か欠席して、いままでほとんど何も理解していなかったことが悔やまれる。が、いまからでも彼らに伍して行きたい。量子力学なる題目に圧倒され、ゼミナールなる名目に対して軽視的態度であったことを深く反省しなければならない。 11月5日(金)晴 午後から激しい頭痛がする。風邪薬を買ってきた。 11月6日(土)晴 物理実験のノートの表紙の書き方が規定と違っていたので、紙を貼って書き直した。そのついでに、このノートの表紙の Psychology と書いてあった上にも紙を貼って、標題を付けた(注:Umschreibung des Lebens im moglichen Sinne)。Umschreibung というのは、ドイツの物理学者たちが量子力学の発展過程において古典的概念に対して行ったものとして、一昨日の物理ゼミで田村教授が話された言葉を思い出して使ったもので、Umschreibung des Lebens といっても、大したものを意味させようというのではない。 11月7日(日)晴 積分と取り組む。 11月8日(月)晴 放課後、クラス討議。宇治分校文化祭参加の演劇と蛮声合唱のこと。10日の反ファッショ・デモに参加の決議。 11月9日(火)晴 唇を噛みしめながら筆をとる。最近——もう何ヵ月も前から——こういう日にはノートを開かないことにしていた。が、きょうはどうしても筆をとらなければならない。君に公言してしまったからだ、ぼくはこのノートにおいて自分をつくろうようなことをしないと。…だが、何を書いてよいか分からない。…自分を激しく罵る。…デムズデール先生…。 生活空間の片隅にあった、ごく低次の内的葛藤について記し、このノートを読んでくれる君の目を汚したことは、ぼくの全理性が絞首台に上らせられる以上の苦痛であった。が、その苦痛をも、ぼくの精神はそれが持つ強烈さとともに乗り切るであろう。 上記のことはすべて、人格形成段階の最下段的問題に過ぎない。「ジャン・クリストフの魂」を持ち出すまでもなく、克服されているべきだった。そうした問題について、君との日記交換者が一日のスペースを埋めたことを、君に深く謝っておかなけらばならない。 11月10日(水)晴 ドイツ語の時間の前に、堀野君が手帳から切り取られた一枚の紙を折りたたんだものを手渡してくれた。一瞬、4月の授業が始まって2週間目の月曜日のことを思い出したが、それにしても…といぶかった。しかし、それは彼自身のぼくへの伝言ではなく、市川君なる人物からのものだった。小学校で一年間、クラスは違っていたためお互いには知らなかったが、とにかく4次元的距離の隣接のもとで学んだことがあるようなので、会いたいと書いてきているのだ。彼のことは夏休みに荒間先生の家に集まったとき、山脇さんから聞いた。(その時われわれは、荒間先生とわれわれ旧クラスメートによる小旅行の予定について相談していた。それで、ぼくの隣に座っていた彼女が突然、「市川っていう私のいとこ、知っていますか。」といったのを、「石川県でいいところ知っていますか。」と聞き違え、ぼくだけに向かっての質問にしては妙だと思いながらも、「知らない」と答えたのだったが、「京大へ行っているのよ。」という彼女の次の言葉で、質問は見事に取り違えたが、答はそれでよかったことを知ったのだった。)彼女は、彼は「変わっていて」、農学部へ入ったが遺伝に興味を持っている、といった。ぼくは、その興味が彼女の不運な弟妹たちのことと関係があるのかも知れないと思った。——未知の人物との会見を控えているということは、期待と多少の不安の混じった感情を生み出すものだ。—— 11月11日(木)うす曇 文化祭。仏文科創設30周年記念講演。新村猛教授が終りに言われた仏文学研究の意義は、あまりにも平凡、当然のことで、教授によって聞かされるまでもなく、誰もが容易に考えることのできるものだった。生島・河盛両教授の話は面白く聞くことができた。生島教授の講演の方は、高校時代に分かりにくくて退屈しながら読んだ「赤と黒」の中の政治的背景の部分にも注意しながら、いつかまたそれを読み返してみたいという気を起こさせた。「ジャン・クリストフ」中の同様に退屈したところはといえば、この作品の一つの骨子をなしているヨーロッパ各国の文化・芸術に対する作者の批評の入っている部分だったが、そのことを先日ちょうど残念に思っていたところだ。河盛好蔵教授は、桑原教授の「文学入門」の巻末にある外国文学50編のリストを、軽くではあるが非難しておられたが、実はぼくは、次に読むべき外国文学の本を選ぶときに、しばしばそのリストを参考にしていた。それに束縛されることは無意味であるが、利用法によっては、意味のあるリストになし得ると信ずる。 11月12日(金)快晴 ベルグソンはなぜ、ツェノンの運動否定論に対するラッセルら数学者の反証を不十分だとしたのか。それよりも先に、アキレスと亀の例における不可能性自体が、なぜ運動否定論なる論を構成できるのか。 11月13日(土)快晴 買ってしまった本だからと思って不承不承目を通しているのだが、田辺元の「哲学入門」の記述は全く論理をなしていないところが多い。講義の速記を整理したものであるためもあろうが、それにしても、多数の不徹底な論述は整理者の能力を疑わせる。 11月13日(土)快晴 君を長く引き留めてしまって悪かった。 11月14日(日)曇 君の日記を読み返す。君の巧みにつづられた「序」が最初にぼくに感じさせたことは、このノートを使用し始めるに当って、君がいかに改まって思索したかということだ。われわれは、平生無沙汰していた友人に対してふと手紙を書こうとして、筆を起こす案を練るようなとき、ひじょうにしばしば「時」の観念に逢着するもののようだ。こう書いているぼく自身、君への手紙の最初に、空間観念との対比の下に時間観念に関する記述をしていた。われわれの思考のそうした傾向を考え合わせると、君の「序」の冒頭の一語、「時」が意味深いと同時に面白いものとして感じられる。きょう君と論じた哲学的な「時」の意味は、まだ不可解であるとしても、君の「序」にある人生的な「時」については、君が捉えている性格がぴったり当てはまっている。「かの一片を取りて見るべし、そは無限なる時を含まん」という君の文学的表現を哲学的につついてみることが許されるとすれば、それは偶然にも、きょうのわれわれの論議の中心であった「時間の無限可分性」の表現になっていて、ちょっと問題のあるところといえよう。 |