IDEA-ISAAC |
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多幡達夫 |
高校生時代(1) 「高校生時代」の続きは "Ted's Coffeehouse: Youth" と"Ted's Archives"に連載した(ブログ・サイトを利用しているので、日付の後の分が先に出て来る。連載では、交換日記の相手 Sam の日記も平行して掲載。私自身は、Ted というニックネームになっている。"Ted's Archives" では、ラベルによって、"Ted's diary" と "Sam's diary" を別々に選んで見ることができる)。 大学生時代(1) 大学生時代(2) 大学生時代(3) 大学生時代(4) 大学生時代(5) 大学院生時代 |
高校生時代(1) 高校生時代の私の日記は、中学生時代からの親友で別々の高校へ進むことになった Sam と交換する形で記されている。文中「注:…」とあるのは、本サイトへの掲載に当たって書き加えた説明。Sam を始め、頻出する親しい友人名は外国風の呼び名になっているが、いずれも日本人。それらの名は、もともと日記中においてのみ使用していたもの、本サイトへの掲載に当って呼び名らしく修正したもの、他の友人とのバランスのため新しく採用したものからなっている。 ある「事件」
注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」 1951年4月23日(月)、24日(火) 「物好きなやつだ」と思われるかも知れないが、ぜひ賛成して貰いたい。毎週二円使って(注:当時のハガキ代)その上、目を酷使するような細字を用いながら十分に意志が表わせないでいるいままでの通信方法をやめ、右手の中指の鉛筆ダコが、もう止めてくれと悲鳴をあげるほど、思う存分書きなぐろうと思う。それで、今後の通信にこのノートブックを使うことを提案する。一週に一度でも、暇がなければ二週間毎にでも交換することにしてはどうだろうか。一冊だけでは都合が悪いので、トイレットペーパーをつづったようなものでもよい、とにかく文字の書けるノートを君も提供してくれたまえ。 昨日は、君に対してぼくのしようとしていたことをなし終えたが、あの行動は明らかに失敗だった。ぼくのアガリやすいのは、親愛な Bob に勝るとも劣らないものだった。「神殿」の窓下の板壁に君が、そして、幹の肌が白っぽくて細くうねっていたように思う木にぼくが、それぞれもたれて立っていたときの感想をいおう。君はぼくを感心させるに十分な程度に巧みだった。学校の話になると、君には知らせ尽くしてあったので、ぼくは新しいネタがなくて困った。ぼくは誰かにいったことを焼き直して話すのが嫌いなのだ。ぼくにできる芸は、どこへ行っても「さようなら」ということしかないようだ。 社会科の時間に山上先生は「学校生活の目標」を述べられたが、その中に「宗教的感情の芽生えを伸ばして行くこと」というのがあった。君は宗教をどう思っているだろうか。ぼくは、ちょうど Jack から借りた「人民の哲学:弁証法的唯物論への道」(高橋広治著)という本を読んでいるが、この本の著者はマルクスの「宗教は人民のアヘンである」ということばを引用し、「阿片という言葉はじつに適切だ」と述べている。 桃太郎後日譚 君がモットーとすることば「歩け!歩け!」ではないが、ぼくも歩くことが好きだ。厖大な時間と労力を費やす散歩になった。二時間ほどかかっている。君の家へ二度行き、その間に現紫中生徒会副会長の親友の家へ一度行ったが、どれもムダ足だった。君の家の近くの道では、I 君が店のミカンやリンゴの中でいつも働いているのに会わなければならないので、少し面倒だ。 君は何をいっているのだ!! わがホームルームの選挙管理員が早退したため、やむなくホームルーム委員のぼくがこれを代行したが、第四限が終わっても開票し終わらず、very hungry となってくる。開票の結果、二名必要な体育委員が、一人は七票で文句なしだったが、続く六票が都合悪く二人いる。「ジャンケンにしようか、クジがいいかね」とホームルーム・アドバイザーの勧告である。「えい、ジャマくさい」と、仮選挙管理員の独断で、クジで決定。弁当を誰もいなくなった教室で食べる。選挙管理員なんかに仮にもなるもんじゃない。 4月25日(水)晴 君はいままで日記をどのような形で書いてきただろうか。ぼくは気の向くときにだけ書いていたが、何かの対象がないと、とかく平凡なものになるので困っていた。ちゃんとした日記帳も用意してなかったので、何にでも書き散らしていた。きょうからは、この通信帳に、ぼくの生活と感想のすべてを記していくことにしようと思う。 君たち(注:Sam と Bob。この節は、 Sam の家を尋ねたときに書き加えたもの)の通信は、文学的にも哲学的にもすぐれたものではある(まだ読んでいない「アンナ・カレーニナ」のような気がする)が、ただ一つ、ぼくに対する誤解だけは惜しい。「弁証法」ということばはどこで学んだのかね。ぼくのつまらない「試み」は、君たちにずいぶん深い考察をさせ、余計な苦しみを与えることになったものだ。 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」 4月25日(水)晴 ふたたび記す 電車通りから学校へ行くまでの間に自分の家があると、たいへん具合が悪い。登・下校には便利だが、放課後、用事があって電車通りの方へ出かけると、帰る頃には、先生方が束になって帰って行かれるのに会うに決まっている。きょうの君の家からの帰りには、まず、カラスのあだ名のあるわがホームルームの堤谷先生、アデナウアー西独首相の写真に似たところのある坂井先生その他、次に、「聳え越え悶え思ほえ見えまみえ…」を得意とする国語の桑山先生を交えた一グループ、若くて短い舌の持主の生物の西村先生を中にした四、五人の先生たち…、という具合。この間「さようなら」の連発。 Bob へ。「用意周到」でなかった今度のぼくの行為を深く君に謝る。ぼくが不当な「介入者」と思われようとは、そして、君があれほど「忘れよう」と努めたり、「撤退させるべき」だと考えをねったりしようとは、想像をたくましくしても予期できなかったことだ。 Sam へ。君の深い考えのほんのうわっつらをしか理解できなかったぼくは、いまさらながら、君の「大軍師」ぶりを頼もしく思う。身近に発生したと君が解釈した「アンナ・カレーニナ事件」に対する君の批判・考察・表現は、さながら少年トルストイであると何びとも認めるだろう。 何だか、一冊の小説を読み上げたような感じだ。要らないと念じる間の時の流れが 1day/sec であればよいと思うだけだ。いまから余習(予習の間違いではない。余分な学習)をする。 4月26日(木)晴 アセンブリーは、他のどの時間よりも活気があり、すべての授業時間の中で最も愉快な時間だ。最前列に腰を下ろして何が始まるかと思っていると、これまでは名前を知っているばかりで顔を覚えていなかった新生徒会長の館君が登場する。どんな顔かと仰ぎ見ると、新人募集のためのクラブ宣伝のとき、目をくるくるさせながら「弁論部へ来たれ!弁論部へ来たれ!」と、いかにも弁論部らしい口調で、聴衆が笑うのを尻目に真面目な顔でやっていた人物であった。会長の挨拶と方針演説の後、各文科委員長が登壇し紹介される。 昨日は「アンナ・カレーニナ事件」について書き尽くしたと思ったが、もう少し書きたい。 ぼくは、ちょっとしたことにも感動したり感嘆したりするらしいと気がついている。これは、よいことだろうか、悪いことだろうか。最近になって、こうした性格に変わりつつあるようにも思う。理性を失っていくのではなかろうか…そんなことはない…。 (2000年10月22日掲載) |
事件の解決 注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」 4月27日(金)晴 君のきょうの貴い経験による「仕事の能率はいかにして上げるべきか」は、ぼくのよい参考になりそうだ。きわどいところで、人生長距離競走の勝利者となるには、能率的な生活と能率的な方法による人格形成が大きくものをいうだろうから。保健体育こそは、単位未修了ということばをぼくに恐れさせる唯一の科目であるが、君はゆうゆうとベスト5にいるとはうらやましい。 祖父(母の父、84歳)は、ずっと健康だったが、昨日来腹をこわし、絶食を続けている。母も、ぼくが君と通信を交換していることがどんなにぼくたちの精神の涵養その他に役立っているか理解できないほど、何かにぶつかった様子でいる。人生という大きな旅の途中で、後で振り返ればそれほど印象的でなくても、そのときは死に物狂いで渡らなければならない急流のなんと多いことだろう。 4月28日(土)曇のち小雨 この数日あまりにも元気よく飛び歩いた子供のようだった空は、疲れを覚えたらしく、鈍い色で腹ばいになっている。 体育館改築の工事——その手始めの取り壊し——はみるみるうちに進む。屋根の骨組みが一本一本はずされていくのを見て、「ろっ骨、だんだん少なくなる。」といっている者があったかと思えば、中心の軸だけになると、「やー、脊椎だけになった。」といっていた他の者もあった。皆が、人間の身体になぞらえて見ている。下校時分には、側壁がバターンと、勢いよく倒されていた。バターンと地につくと同時に、それを倒した工事人たちの姿が見えなくなるくらい、ふわーっと埃が舞い上がる。「たくさん出るもんやねー。」「初めて建ったときからの埃やもん。」と女性群の声。われわれの肺の中にごく僅かずつながらたまりつつあるであろう塵埃を思ったら、胸がむずむずしてきた。 英語は第2課の "How much land does a man need?" に入った。トルストイの作品である。正村先生は、「トルストイは、始めは戦争をやったり、バクチをやったり、酒を呑んだり、悪いことばかりしとったが、後には、あんなどえらい、まるで神様みたいな聖人になったんじゃ。」と。彼の作品であり、今度のわれわれの事件の代名詞になった「アンナ・カレーニナ」が、ますます読みたくなってきた。 ぼくにとっては、fountain pen を万年筆と呼ぶことが、少しも誇張でないかも知れない。持っていながら、あまり使わないからだ。あわて者であることと、君に誤字発見器といわれるほど、他人の誤字が気になることから、自分の誤字をすぐに消して書き直せるように、鉛筆ばかりを用いてきた。その結果、たまに万年筆で書くと、別人のように下手な字になる。——というのは間違いで、始めからうまくないのが、インキの魔法で、より歴然となるのかも知れない。——まあ、いまから精いっぱい使って慣れようと思う。 「後でゆっくり考える」と24日に約束した「宗教」について考えよう。きょうは、ちょうど、父の祥月命日でもある。 君がことばの生活を楽しんでくれるので、何よりも嬉しく思っている。もう一つ、ぼくがまだ見たことのない富士山を見上げたときに感じるだろうような気持で、君を見上げなければならない点に気づいた。君は昨日、ぼくたちが間借りしている家の玄関で、その家のネコのチョンに、君の豊かな愛情の一片を注いでいたが、それは、ぼくならば、しようと思いつきもしないことだった。(富士山は言い過ぎか。虹のような美しい心と言い直そうか。) 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」 4月29日(日)雨 Bob はよいアルバイトにありついたね。生徒議会の傍聴に途中から入って行くことを顔を真っ赤にして苦しんでいた彼なのに、町の中を叫んで歩くとは上出来だ。 やはり会えなかった。お母さんのところへ手伝いにいったって?黄色い看板、大和の裏のどこかの四、五軒こちらとか、君のおばあちゃんに聞いたので、探したが分からなかった。聞き違えたのだろうか。本屋へ寄って帰ると、もう「私は誰でしょう」が半分ほど終わっていた。 誤解をぶりかえされては困るから、君の要求に応じて「女神」への手紙の内容を記しておこう。 4月30日(月)晴 国語乙「奥の細道」の時間の進行は次の通り。新しく入る章の朗読、先生から難解な語句の質問、生徒による通解、それに対する生徒の質問と意見、先生の通解、さらに質問。芭蕉がすらすらと書き流したこの紀行文の一句一句を、こうも吟味しなければならないものか。われわれが書いている文を、このようにマナイタにのせられたら、たまったものではない。
問題の女神を君は Venus といったが、それはどうかと思う。ぼくは彼女が Minerva である方を尊ぶ。ローマ神話を勉強してくれたまえ。 風が強かった。朝、土台ばかりになった体育館の横で Bill(中学1年は紫錦台中だったが、2年から野田中に移ったので、君は彼を知らない。小学校では Minerva と机を並べていたことがあるそうだ。とにかく、秀才の一人だ)に会う。彼は「バカに涼しいな。こんな日大好きや。眠とうなる。」という。この風に吹かれて、それが巻き上げるようにして運んでくる微かな砂粒を頬に受けて、いつまでも立っていたかった。学校へ行くと妙に感傷的になる…。 もう一度万年筆を取り上げる。学期のスタートをこんなに長く悩まし続けるわだかまりを抱いて踏み切ったことは、かつてなかった。なぜだろうか。Minerva のせいか。 注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」 5月1日(火)晴 すぐやってみよう。前にトランプで試みた「ソロモン王の指輪」より、よほどマシだろう。結果が心配だが、もしも当っていなかったら、この試みの製作者に抗議するまでだ。(注:Sam の作成した性格診断質問表を試みる。) 図画。「美の啓培・趣味性の涵養」などと、国語の時間と間違えるような難解な語句を使って「図画科に関する説話」を2時間聞かされた後、先週からは「画用紙の上の説明」をやっている。「ここんとこの説明がちとおかしいね。」「細かいとこばかり説明せんで、全体的に見て説明するんだぞ。」飯田先生の説明という語は、表現のことにほかならない。 5月2日(水)晴 新緑の頃は忙しい。国語乙の時間に新緑という題の作文を書かされたが、君との通信文の焼き直しをして、少し味をつけておいた。 偶然とは何だろうか。それは必然の一種であって、その必然的な運命の、ある人にとって好都合か不都合かという極端に問題になるようなことが、半意識的に予期されて実現したことである、という逆説的な説明をしたくなる。 Bob よ、額を地につけては、顔が汚れるだけで、何のしるしにもならない。だが、君の気持だけは確かに受け取った。君も望みのものを貰いたいらしいから、それは、君が直接に、そして徹底的に頼む必要がある。Sam とぼくだけで行くのでは意味がない。君にとってこそ、Minerva は Venus なのだから、ぜひ君を連れて行かなければならないのである。 新緑の忙しさは風呂へ行く時間を失わせた。 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」 5月3日(木)晴 相変わらず輝かしい日であっただけに、Bob の来れないだろうことは予期できた。延期また延期、こうしている間が幸福なのかも知れない。そうならば永遠に未解決であれ!(無理をいっているだろうか。)ぼくは、いまのところ幸福らしい。明日という、ぼくの首をキリンのそれのようにさせる邪魔な日がなかったならば、このうえもなく幸福だろうに。忘れないように書いておく。5日3時21分、大和4階。 バカらしいことで頭をひねらせられる。奨学生願書の希望する理由を書く欄だ。 空を仰げばその色だけで、君が今頃行っているテニスコートに響く快いラケットとボールのぶつかる音が分かるような日に、外界の明るさとは無関係に明るかったり暗かったりする本の世界を歩き回るのも、一種独特の味わいだということを君はかつて経験しただろうか。確かによいものだ。 憲法記念日は、無理に憲法を読まなければならないようにできている。明日憲法テストが全校を通じて行われる。 君と別れて電車を降り、そして歩いてくると、豪傑的なのんきな歩き方で渡辺先生(注:紫錦台中学の社会と体育の先生)が来られるのに出会った。「勉強しているかね」と尋ねられた。学校ではしているが、家ではするほどでもないといおうと思ったが、長たらしいので、「はあ」と答えておいた。「高等学校の方が中学校より面白いだろう。」といわれた。中学生時代には中学校が十分面白いと思っていたのだから、どう答えてよいか分からない。しかし、これも「はあ」ですませた。 「まだ持っていないものが何かあるということが幸福の不可欠の条件」ということばを、ぼくがどこかで読んだことがあるだろうと、君は書いているが、ぼくはそんな覚えはない。しかし、このことばを見つめていると、すでに知っている内容のような気がしてくるから、不思議だ。そのことばが普遍的真理であるときに、自分→そのことば→そのことばをいった人→普遍的真理の一直線が通じ、自分のいま見ていることばとそのことばをいった人(真理の媒介者)を経ないで、真理をくみ取ったような気になるらしい。しかし、このことばがなぜ真理か分からない。少し分かるようで、おおかた分かっていない。 「あわて者」とはどういうものか、A、B 2人に討論させてみる。憲法記念日の余興だ。 注:Sam による欄外への書き込み 5月4日(金)晴 坂を下るときに普通われわれは足を忙しく動かさなければならないが、足を使わずに手の握力を必要とする乗り物は、便利なようで、都合の悪いこともある。Octo と母校(「金の光」を校歌としている学校)へ行った。吉田、貫名、佐々木[「多幡さん、英語の試験(仮入学式のときの)百点やったてネ。がんばらにゃー。」]、瀬尾、田中(「どうだ、高等学校の授業めんどいか。」)等々の諸先生に会い、生徒議会が行われている教室を窓越しに気配だけうかがい、運動場で野球部の予備運動を見て、校門から出ようとすると、自転車で君が、多分ぼくの家へ行ったあと帰っていくのを見た。あっと思う間もなく、君の乗り物はぼくの声の届かない距離へ去ってしまった。 5月5日(土)雨 Sam ありがとう。ぼくたちは何とバカをみてばかりいるのだろう。みな、ぼくが悪いのだろうか。「現代スタジオ」の主人は、まったく気が利かなくて奇妙な人物である。 5月6日(日)晴 あまりにも忙しいのに、意地悪くも時はあまりにも速く飛び去る。夏時間に移るためにこどもの日からきょうにかけて、1時間が省略されたせいもあるかも知れない。しかし、Minerva の写像を待つ心がはい出すときは、むしろ、時の流れはひじょうに遅いのだ。 5月7日(月)晴のち曇 ピリオドは打たれた。時に4時20分。ぼくは本当のぼくに戻った。復活!往年の自分! 5月8日(火)雨 数学と国語は完ぺき。理科、「過酸化水素は( )の漂白に用いる」がピンと来ない。 (2001年4月30日掲載) 以下は "Ted's Coffeehouse: Youth" に連載中。(ブログ・サイトを利用しているので、日付の後の分が先に出て来る。連載では、交換日記の相手 Sam の日記も平行して掲載。私自身は、Tedというニックネームになっている。 |