IDEA-ISAAC

Diary
青春時代の日記から
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多幡達夫
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Copyright © 2000, 2001 by Tatsuo Tabata


目 次

 
高校生時代(1)
 「高校生時代」の続きは "Ted's Coffeehouse: Youth""Ted's Archives"に連載した(ブログ・サイトを利用しているので、日付の後の分が先に出て来る。連載では、交換日記の相手 Sam の日記も平行して掲載。私自身は、Ted というニックネームになっている。"Ted's Archives" では、ラベルによって、"Ted's diary" と "Sam's diary" を別々に選んで見ることができる)。

大学生時代(1)
大学生時代(2)
大学生時代(3)
大学生時代(4)
大学生時代(5)
大学院生時代
 
高校生時代(1)

 高校生時代の私の日記は、中学生時代からの親友で別々の高校へ進むことになった Sam と交換する形で記されている。文中「注:…」とあるのは、本サイトへの掲載に当たって書き加えた説明。Sam を始め、頻出する親しい友人名は外国風の呼び名になっているが、いずれも日本人。それらの名は、もともと日記中においてのみ使用していたもの、本サイトへの掲載に当って呼び名らしく修正したもの、他の友人とのバランスのため新しく採用したものからなっている。


ある「事件」

ノート No. 1
ノート No. 1 の表紙
 

 注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」

 1951年4月23日(月)、24日(火)

 「物好きなやつだ」と思われるかも知れないが、ぜひ賛成して貰いたい。毎週二円使って(注:当時のハガキ代)その上、目を酷使するような細字を用いながら十分に意志が表わせないでいるいままでの通信方法をやめ、右手の中指の鉛筆ダコが、もう止めてくれと悲鳴をあげるほど、思う存分書きなぐろうと思う。それで、今後の通信にこのノートブックを使うことを提案する。一週に一度でも、暇がなければ二週間毎にでも交換することにしてはどうだろうか。一冊だけでは都合が悪いので、トイレットペーパーをつづったようなものでもよい、とにかく文字の書けるノートを君も提供してくれたまえ。

×     ×

 昨日は、君に対してぼくのしようとしていたことをなし終えたが、あの行動は明らかに失敗だった。ぼくのアガリやすいのは、親愛な Bob に勝るとも劣らないものだった。「神殿」の窓下の板壁に君が、そして、幹の肌が白っぽくて細くうねっていたように思う木にぼくが、それぞれもたれて立っていたときの感想をいおう。君はぼくを感心させるに十分な程度に巧みだった。学校の話になると、君には知らせ尽くしてあったので、ぼくは新しいネタがなくて困った。ぼくは誰かにいったことを焼き直して話すのが嫌いなのだ。ぼくにできる芸は、どこへ行っても「さようなら」ということしかないようだ。

×     ×

 社会科の時間に山上先生は「学校生活の目標」を述べられたが、その中に「宗教的感情の芽生えを伸ばして行くこと」というのがあった。君は宗教をどう思っているだろうか。ぼくは、ちょうど Jack から借りた「人民の哲学:弁証法的唯物論への道」(高橋広治著)という本を読んでいるが、この本の著者はマルクスの「宗教は人民のアヘンである」ということばを引用し、「阿片という言葉はじつに適切だ」と述べている。
 英語の正村先生が脱線して、「わたしは共産主義は、あれはじつによいと思うんじゃが、ただし、人間が神や仏のようになったときに初めてのこっちゃ。そんなになったら主義も何もないじゃろうが。」といわれた。公務員の立場もあるのだろうが、先生は本当のところ、マルキシズムをほめているのか、けなしているのか、よく分からない。ぼくたち自身に考えさせようとする、よい手なのかも知れない。

×     ×

 桃太郎後日譚
 オニガシマから凱旋した桃太郎は、まだ若かった。彼を生んだ桃を川から拾ったお婆さんとその夫は、余生を彼の孝養の下に楽しく終えた。桃太郎は、オニガシマから分捕った金銀財宝をすべて貧しい人びとに分け与え、、彼自身はコツコツと鍬を打ち振るって生活し、世間には彼の再度にわたるはなばなしい活躍を必要とする事件もなく、歳月はごく平穏無事に流れ去ったのである。なぜならば、かの有名な桃太郎について、多くの人びとは鬼退治の話しか知らないのだから。
 よいお爺さんとして暮らした頃の桃太郎については、その必要がなかったために語り伝えられていないのだから、ここで改めて桃太郎翁のことを述べる必要もない。ただし、桃太郎がなぜわれわれの心に生き続けているかについて考えてみたい。
 彼が正義のため、人びとの幸福のために行った仕事こそが、彼をわれわれの心に存在させている理由であろう。そして、「鬼退治」は、われわれ一人ひとりの中にあっては、その成長とともに、各人の「理想とする生き方」に形を変えて行くべきものであろう。
 ある一人の少年も、幼児の頃から桃太郎の絵本を見せられて育った。その絵本の第一ページには、桃から生れたばかりのはつらつとした赤ちゃんが大きく描かれていた。第二ページには、「だんだん大きくなった桃太郎は…」の説明とともに、育て親たちに手を振って、いよいよ鬼退治に出かけていく桃太郎が、遠方に小さく描かれていた。その幼児は、「だんだん大きくなってないよ。小さくなってるよ!」と、絵を解釈したものだ。その幼児が少年となり、さらに成長していく間に、彼の中で桃太郎精神はどのように生かされていくのだろうか。それが、このノートブックで、ぼくが書き綴っていくことなのだ。

×     ×

 君がモットーとすることば「歩け!歩け!」ではないが、ぼくも歩くことが好きだ。厖大な時間と労力を費やす散歩になった。二時間ほどかかっている。君の家へ二度行き、その間に現紫中生徒会副会長の親友の家へ一度行ったが、どれもムダ足だった。君の家の近くの道では、I 君が店のミカンやリンゴの中でいつも働いているのに会わなければならないので、少し面倒だ。

×     ×

 君は何をいっているのだ!!
 いま、母が君のハガキ No. 5 を持って部屋へ入って来たのだが、こう怒鳴らずにはいられない。いままで、あい色の雲が拡がっていた空も、新しいパレットにつやのいいイーゼルペイントのその色を溶いたように、気持のいい眺めだった。しかし、君のハガキの第六番目の文字を見たとたんに、それは少しのつやもなく、よい気持も与えないもになってしまった。母が君の手紙を見せて欲しいといったが、これは君(Bob でもぼくでもなくて)の名誉にかかわるハガキでしかないと思ったから、ぼくは決然とその申し出を拒絶した。
 君らしくもない誤解である。君がぼくの行動をこのように取っているとは、考えてもみなかった。「心ほど偉大なものはないが、あるときは、心ほど貧弱なものはない。」君は、いまこそ、ぼくのこのことばを深く味わうべきである。君の誤解に対して、ぼくは君を責めはしないだろう。しかし、今後も君がぼくのよい理解者・相談相手であってくれるために、ぼくは君の反省を促さなければならない。
 さっき君の家で君に会えなかったことを、ぼくは感謝すべきだ。ぼくは君がこんなことをぼく宛に書いた後だとは、少しも知らなかったのだから。
 一つひとつ書いていこう。君がこのハガキの始めの三分の一ほどで、ぼくに謝っているのは、半分正しいが、半分正しくない。Bob にはどのように伝えたか知らないが、誤解だったところを君は訂正しなければならない。「私と交友の関係を断つかも知れない」とは、どういうことだろう。君は彼にとっても、よい相談相手ではないか。「Bob と君とは」ならば、まだ、つじつまが合いそうだ。どちらにせよ、君の大きな考え違いだ。Bob は 女神とそのような交渉を進めてもよいだろう。ただし、学生の本分を…(こんなことは学校の先生のいうことだ)…。君は、ぼくのこととは別に、彼にそのための相談相手となってやるべきだろう。君の説明から察すれば、Bob の望むところと、ぼくが欲するものとは異なっているようだ。Bob が本当にそのような気なのならば。
 少し気持が穏やかになってきた。君のこのハガキは、「つまらないことで親友と争わないように」というぼくへの忠告だったのかも知れない。わざわざありがとう。
 いまはそうでもないが、夕食の最中ぼくは、「君のこのハガキはマッカーサー元帥解任事件よりも、また、ジェーン台風よりもぼくを驚かせるものだ」と考えていたということを、参考までに書いておく。これ以上は、君の返答を見ないと書けない。思えば、おかしなことを考えるようになったものだ。「考える」で思い出したが、次のような公式を考え合ったこともあったね(などというと、遠い昔のように聞こえるが)。

 (1/2){n(n+1)+(n-1)(n-2)+(n-3)(n-4)+ . . .} + [n(n-1)+(n-2)(n-3)+(n-4)(n-5)+ . . .]
 n が奇数の場合 {} 内は 2x1、[] 内は 3x2 となるまで、
 n が偶数の場合 {} 内は 3x2、[] 内は 2x1 となるまで続ける。
 今度こそ簡単で正しい。
 (注:正三角形が多数の正三角形に区切られているとき、いろいろな大きさの正三角形の総和を求める問題。中学3年のときに Sam と一緒に挑んだ。級数の和を高校2年で習って初めて、もっと簡潔に表わせることを知る。)

 君からのハガキの他に、君の表現による「絶対的圧力型」先生と「南洋的江戸っ子型」先生(注:Sam と私の出身中学校の先生たち)からも、申し合わせたようにハガキが来た。「高等学校はどの科目も難しくなったと存じ…」、「そろそろ微に入り細に入るだろうが…」などとある。先生方は、われわれが他にも問題をかかえているという内幕をご存じない。しかし、最近の「問題」あるいは「事件」にもかかわらず、生物の先生が最初の時間に「だまされたと思って実行せよ」といわれたように、授業だけは真剣に聞いている。

×     ×

 わがホームルームの選挙管理員が早退したため、やむなくホームルーム委員のぼくがこれを代行したが、第四限が終わっても開票し終わらず、very hungry となってくる。開票の結果、二名必要な体育委員が、一人は七票で文句なしだったが、続く六票が都合悪く二人いる。「ジャンケンにしようか、クジがいいかね」とホームルーム・アドバイザーの勧告である。「えい、ジャマくさい」と、仮選挙管理員の独断で、クジで決定。弁当を誰もいなくなった教室で食べる。選挙管理員なんかに仮にもなるもんじゃない。
 弁当箱をようやく風呂敷にしまって運動場へ出ると、中学校時代の運動場とはずいぶん異なった風景が見られる。芝生地帯には多くの塊がたむろしている。走り回っている者たちも、何か高校生らしい遊びをしているようだ。空は何と、「事件」の決着を待つにふさわしい希望の青緑色だったろう!

 4月25日(水)晴

 君はいままで日記をどのような形で書いてきただろうか。ぼくは気の向くときにだけ書いていたが、何かの対象がないと、とかく平凡なものになるので困っていた。ちゃんとした日記帳も用意してなかったので、何にでも書き散らしていた。きょうからは、この通信帳に、ぼくの生活と感想のすべてを記していくことにしようと思う。
 なぜ、ぼくの心にそぐわない晴ればれとした天気ばかり続くのか。ゆうゆうと屋根で弁当を食べようとして叱られた生徒もいるが、ぼくは真面目に教室ですませ、次の時間の教室にカバンをおいて運動場へ出る。何のことはない。毎日同じことばかりだ。運動場へ出た後も、同じようなことである。目をつむっているのも変だから、どこを見るともなく見ていなければならない。そうしてポツンと立っていた。
 どうしても君に会ってこなければ。ぼくは君に会うために、暗い日には少しの感動も覚えないところまでが白く輝く光に充ちた、この世界はどこを取っても絵になるぞといわんばかりのこの晴れやかさにふさわしい明るい心になろう。
 君の所属するクラブは、もう決まっただろうか。ぼくは新聞クラブで、まだ何の仕事もせずに、特権だけをふるっている。特権というほどでもないが、体操の時間にカバンと弁当を、雨の日には一限から六限まで傘を編集室に置いておけばよいのだから、ありがたい。ところが、特権の与えれれた部屋から出てくると、眼鏡をかけたある先生がぼくの閉めた扉を開けて検閲している。ふと呼び止められ、「君は新聞部か」と訊かれる。「はい」とかしこまる。「こんなナワは何にするんだ。いらんのならどこかへ捨ててこい。見学に来られると恥だぞ。下駄などもどこかへ揃えて。」「知りませんが。はあ。はい。」と答えて、しぶしぶナワを取り上げ、中に草の生えているかつてのプールの向こう側へ置いてきた。他人の下駄まで世話するのはバカらしいから、それだけすませると、さっさと来てしまった。新聞クラブ員としての最初の仕事がこんなことだ。いい気持じゃない。

×     ×

 君たち(注:Sam と Bob。この節は、 Sam の家を尋ねたときに書き加えたもの)の通信は、文学的にも哲学的にもすぐれたものではある(まだ読んでいない「アンナ・カレーニナ」のような気がする)が、ただ一つ、ぼくに対する誤解だけは惜しい。「弁証法」ということばはどこで学んだのかね。ぼくのつまらない「試み」は、君たちにずいぶん深い考察をさせ、余計な苦しみを与えることになったものだ。

 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」

 4月25日(水)晴 ふたたび記す

 電車通りから学校へ行くまでの間に自分の家があると、たいへん具合が悪い。登・下校には便利だが、放課後、用事があって電車通りの方へ出かけると、帰る頃には、先生方が束になって帰って行かれるのに会うに決まっている。きょうの君の家からの帰りには、まず、カラスのあだ名のあるわがホームルームの堤谷先生、アデナウアー西独首相の写真に似たところのある坂井先生その他、次に、「聳え越え悶え思ほえ見えまみえ…」を得意とする国語の桑山先生を交えた一グループ、若くて短い舌の持主の生物の西村先生を中にした四、五人の先生たち…、という具合。この間「さようなら」の連発。

×     ×

 Bob へ。「用意周到」でなかった今度のぼくの行為を深く君に謝る。ぼくが不当な「介入者」と思われようとは、そして、君があれほど「忘れよう」と努めたり、「撤退させるべき」だと考えをねったりしようとは、想像をたくましくしても予期できなかったことだ。
 しかし、(皮肉になるかも知れないが許せよ)君たちは、人生のたいした試練の得難い機会を持ったじゃないか。ぼくが Jack を驚かせ、Sam をわずらわせてみただけの事件かと思ったら、いまや事件の中心は君の方へ移ってしまった。しかし、事件の大団円——君が何のために悩んだのか分からなくなるとき——がもう来ただろう。Sam の君への報告には誤解が入っていたのだから。

×     ×

 Sam へ。君の深い考えのほんのうわっつらをしか理解できなかったぼくは、いまさらながら、君の「大軍師」ぶりを頼もしく思う。身近に発生したと君が解釈した「アンナ・カレーニナ事件」に対する君の批判・考察・表現は、さながら少年トルストイであると何びとも認めるだろう。

×     ×

 何だか、一冊の小説を読み上げたような感じだ。要らないと念じる間の時の流れが 1day/sec であればよいと思うだけだ。いまから余習(予習の間違いではない。余分な学習)をする。

 4月26日(木)晴

 アセンブリーは、他のどの時間よりも活気があり、すべての授業時間の中で最も愉快な時間だ。最前列に腰を下ろして何が始まるかと思っていると、これまでは名前を知っているばかりで顔を覚えていなかった新生徒会長の館君が登場する。どんな顔かと仰ぎ見ると、新人募集のためのクラブ宣伝のとき、目をくるくるさせながら「弁論部へ来たれ!弁論部へ来たれ!」と、いかにも弁論部らしい口調で、聴衆が笑うのを尻目に真面目な顔でやっていた人物であった。会長の挨拶と方針演説の後、各文科委員長が登壇し紹介される。
 続いて、会員が生徒会への希望について発言する行事に移る。司会者は、始めにアセンブリーについての希望・意見を述べさせようとしたが、自発的な発言がなく、前会長の上野君が指名される。「そのことについては、そこに並んでおられる役員諸賢に、よいようにお願いします。」とあっさり。拍手がある。
 次いで、クラブ援助費廃止問題の討議に入る。運動関係のクラブは、経費莫大を理由に、極力反対する。音楽クラブの委員長が援助費廃止賛成の発言をすると、司会者、会長、顧問の分校先生の三人からなる冷静派を加えて、がぜん三つどもえの論争となる。
 「われわれが同じだけのクラブ会費を出して、それが運動クラブの援助の方にばかり取られていくのは不公平であり、莫大な金を必要とするクラブは、自らの内部でまかなうべきである。」と音楽クラブ。
 「取られるとは何です。取られるとは!」と、講堂内ガンガン響く声で、バスケット・クラブ。「正当な理由と手段によって、必要な援助費を要請するのに、取られるとは何です!」
 「何が不公平か!われわれが互いに助け合っていくために出し合うクラブ会費であって、自分が三十円出しても、自分の属するクラブにそれだけ来なければならないことがあるか!そんなことで団体生活ができるか!百万円の納税をする人が自分一人でそれだけの報いを得るか!」との名演説も。
 時間が十五分超過し、司会者が「ではこの辺で先ほど発言を後に控えられた上野君に、最後のまとめを代表して述べて貰います。」という。即座に「何をまとめるんだ。上野君は誰の代表だというんだ。」という意見。上野前会長も「最後にいわせて貰うといっただけで、私は代表ではありません。」と発言。司会者は失言を取り消す。
 「もしも生徒議会でクラブ援助費廃止反対が取り上げられず、その議決がわれわれの意見に反するものであれば、…」ここで、上野君は注意深くいい直す。「いや、失礼しました。クラブを向上発展させるものでなく、壊滅させるものならば、議会に責任を負って貰わなければならない。」と、彼の発言は手厳しい。
 激烈な論争の間に、冷静な忠告を与えた新会長の弁舌と判断にも、真似るには容易でないものがあった。
 これより先、英語の時間に正村先生は、地方選挙で先生自身が身近に知った不正事件について、憤慨にたえない調子で語られた。
 「君たちの心はまだ清いんじゃ、湧き出たばかりの清水のようにな。それが社会へ出ると、濁ったりするんじゃ、都会の水みたいに。隅田川、見た人あるか。名前のごとく(?)墨みたいな水が流れとるんじゃ。君たちは、そんな社会の水に混じって染まってはいかんのじゃ。もう四、五年もすると君たちも有権者になるやろが。ゴチョーナイノ! ユゥーケンシャノ! ミナサマ! というて歩いとるが。」突然、選挙応援のメガホン遊説者を真似るあたり、あだ名(注:おそれ多くも「キ印」)にふさわしい授業ぶりである。

×     ×

 昨日は「アンナ・カレーニナ事件」について書き尽くしたと思ったが、もう少し書きたい。
 君は Bob を、Bob は君と女神を失わなかったのだから、祝福すべきだ。君は、暗やみに突入したとか書き、それにあれほど悲痛ですばらしいたくさんの手紙を Bob 宛に書きながら、たいしたこともなかったような顔でぼくを迎えたのにも感心する。ぼくをのろわしい闖入者と考えて、「自殺」の気持を味わった Bob にばかり謝ったようだが、Bob をみじめにして、ともに苦しむ誤解をした君も、ぼくが Bob に謝った分を別けて受け取ってくれたまえ。

×     ×

 ぼくは、ちょっとしたことにも感動したり感嘆したりするらしいと気がついている。これは、よいことだろうか、悪いことだろうか。最近になって、こうした性格に変わりつつあるようにも思う。理性を失っていくのではなかろうか…そんなことはない…。
 おお!恐ろしい「ジェキル博士とハイド氏」。ハイド、ハイド!ハイド!!ハイド!!!。いや、ぼくは、あくまでも、ぼくだ。
 信ずべきものは何か?頭が混乱してきた。「すべてが人間である。」
 わが最大の理解者よ、早く来たれ。
 現在のぼくは、家庭にあっては母の子、祖父の孫ではなく、学校においては学生でさえないないのだ!混乱した存在でしかない。どうしたことだ。
 ——こんなことを考えてみたが、われわれはけっして「悲劇を好み、夢見るように進んでそれに巻き込まれ、ずたずたに引き裂かれるまで抜け出られないようになって」はならない。——

(2000年10月22日掲載)
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事件の解決

 注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」

 4月27日(金)晴

 君のきょうの貴い経験による「仕事の能率はいかにして上げるべきか」は、ぼくのよい参考になりそうだ。きわどいところで、人生長距離競走の勝利者となるには、能率的な生活と能率的な方法による人格形成が大きくものをいうだろうから。保健体育こそは、単位未修了ということばをぼくに恐れさせる唯一の科目であるが、君はゆうゆうとベスト5にいるとはうらやましい。

×     ×

 祖父(母の父、84歳)は、ずっと健康だったが、昨日来腹をこわし、絶食を続けている。母も、ぼくが君と通信を交換していることがどんなにぼくたちの精神の涵養その他に役立っているか理解できないほど、何かにぶつかった様子でいる。人生という大きな旅の途中で、後で振り返ればそれほど印象的でなくても、そのときは死に物狂いで渡らなければならない急流のなんと多いことだろう。
 君が PL の宗教観について聞いたことの説明、ありがとう。いつか、君の考えをまとめて、述べてくれたまえ。

 4月28日(土)曇のち小雨

 この数日あまりにも元気よく飛び歩いた子供のようだった空は、疲れを覚えたらしく、鈍い色で腹ばいになっている。
 何かを考えようとすると、必要なことが頭に出てこなくて、砂利や小石のような雑然とした考えばかりに心を捉えられる。これらの砂利や小石の中から、「まとまった考え」という砂鉄を拾い出すには、磁気の代りに根気を有する「精神統一」という磁石を用いなければならない。

×     ×

 体育館改築の工事——その手始めの取り壊し——はみるみるうちに進む。屋根の骨組みが一本一本はずされていくのを見て、「ろっ骨、だんだん少なくなる。」といっている者があったかと思えば、中心の軸だけになると、「やー、脊椎だけになった。」といっていた他の者もあった。皆が、人間の身体になぞらえて見ている。下校時分には、側壁がバターンと、勢いよく倒されていた。バターンと地につくと同時に、それを倒した工事人たちの姿が見えなくなるくらい、ふわーっと埃が舞い上がる。「たくさん出るもんやねー。」「初めて建ったときからの埃やもん。」と女性群の声。われわれの肺の中にごく僅かずつながらたまりつつあるであろう塵埃を思ったら、胸がむずむずしてきた。

×     ×

 英語は第2課の "How much land does a man need?" に入った。トルストイの作品である。正村先生は、「トルストイは、始めは戦争をやったり、バクチをやったり、酒を呑んだり、悪いことばかりしとったが、後には、あんなどえらい、まるで神様みたいな聖人になったんじゃ。」と。彼の作品であり、今度のわれわれの事件の代名詞になった「アンナ・カレーニナ」が、ますます読みたくなってきた。
 明日の約束について何か記さなければならない。第一に天候がちょっと心配だ。壮麗な行事に土砂降りであっては、気分を壊す。次に、焼き増し(Bob のいう「焼きまわし」)が、どうだか分からない。だから、ぼくが行くのは気が引ける。

×     ×

 ぼくにとっては、fountain pen を万年筆と呼ぶことが、少しも誇張でないかも知れない。持っていながら、あまり使わないからだ。あわて者であることと、君に誤字発見器といわれるほど、他人の誤字が気になることから、自分の誤字をすぐに消して書き直せるように、鉛筆ばかりを用いてきた。その結果、たまに万年筆で書くと、別人のように下手な字になる。——というのは間違いで、始めからうまくないのが、インキの魔法で、より歴然となるのかも知れない。——まあ、いまから精いっぱい使って慣れようと思う。

×     ×

 「後でゆっくり考える」と24日に約束した「宗教」について考えよう。きょうは、ちょうど、父の祥月命日でもある。
 宗教の持つ目的自体はよいものだと思うが、すべてを宗教に頼ろうとする信仰は、大いに問題がある。それこそ、アヘンと呼ばれても仕方がないであろう。宗教がその信者につきつける神や仏の物語は転倒された世界のパノラマだと、弁証法的唯物論は攻撃している。これも一理ある。何も非科学的な神仏の話に頼らなくても、精神の修養はできるであろう。いずれにせよ、進歩した社会にそぐわないものは、整理・改変されなければならない。

×     ×

 君がことばの生活を楽しんでくれるので、何よりも嬉しく思っている。もう一つ、ぼくがまだ見たことのない富士山を見上げたときに感じるだろうような気持で、君を見上げなければならない点に気づいた。君は昨日、ぼくたちが間借りしている家の玄関で、その家のネコのチョンに、君の豊かな愛情の一片を注いでいたが、それは、ぼくならば、しようと思いつきもしないことだった。(富士山は言い過ぎか。虹のような美しい心と言い直そうか。)

 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」

 4月29日(日)雨

 Bob はよいアルバイトにありついたね。生徒議会の傍聴に途中から入って行くことを顔を真っ赤にして苦しんでいた彼なのに、町の中を叫んで歩くとは上出来だ。
 せっかくの休日の約半分を非能率的な遊びに終わらせてしまって済まなかった。このようなことになるのも一日の休暇があるからであり、この失策を取り返すに必要なものも次の休暇である。われわれが未来のことを知る力を持つならば、非能率的な行動は一切取らないだろう。しかし、未来を知ってしまうほど、楽しみのないことはない。
 向かいの製材所のキーン、ズーというせわしい音に合わせるように、雨が激しく降っているが、午後は君の家へ行くことにする。君自身の「事件」への反応のために家を出ているかも知れない。君の事件に関係する人物とは、いったい誰だろう。

×     ×

 やはり会えなかった。お母さんのところへ手伝いにいったって?黄色い看板、大和の裏のどこかの四、五軒こちらとか、君のおばあちゃんに聞いたので、探したが分からなかった。聞き違えたのだろうか。本屋へ寄って帰ると、もう「私は誰でしょう」が半分ほど終わっていた。

×     ×

 誤解をぶりかえされては困るから、君の要求に応じて「女神」への手紙の内容を記しておこう。

 「突然ぼくのようなものが手紙を出したので、驚かれたことでしょう。交換写真を写したのが余ってしまったので、あなたに差し上げようと思ったのです。あなたはぼくの好敵手でしたから。しかし残念ながら、ぼくはあなたの好敵手ではなかったようです。
 『あなたの出合う人は誰でも、どこかあなたより優れた点を持っている。あなたはその人から、その点について学ぶべきである。』
 これは、いつか『リーダーズ・ダイジェスト』で見たエマーソンのことばです。(記憶に頼って書きましたので、一字一句正確ではないかも知れません。)ぼくはこのことばが好きになり、特にまわりの友人たちからは、いろいろ学ぶように心がけています。
 学校は別れましたが、これからも励まし合い、お互いに健康で、理想の星をしっかりと見つめて進んでいきましょう。
 あなたの写真が残っていましたら、お送り下さい。ぼくのアルバムに中学生時代の好敵手の一人として並べたいと思います。」(注:本サイトへの掲載に当って若干修正した。)

 これを書いた日の午後は、仮入学式で、英語の試験も予定されており、ゆっくり考えていることができなかったのだ。悪印象以外の何物をも盛りきれなかったのではのではないかと後悔している。

 4月30日(月)晴

 国語乙「奥の細道」の時間の進行は次の通り。新しく入る章の朗読、先生から難解な語句の質問、生徒による通解、それに対する生徒の質問と意見、先生の通解、さらに質問。芭蕉がすらすらと書き流したこの紀行文の一句一句を、こうも吟味しなければならないものか。われわれが書いている文を、このようにマナイタにのせられたら、たまったものではない。

Minerva
Minerva の像(ArtToday のクリップアートから)
 

×     ×

 問題の女神を君は Venus といったが、それはどうかと思う。ぼくは彼女が Minerva である方を尊ぶ。ローマ神話を勉強してくれたまえ。

×     ×

 風が強かった。朝、土台ばかりになった体育館の横で Bill(中学1年は紫錦台中だったが、2年から野田中に移ったので、君は彼を知らない。小学校では Minerva と机を並べていたことがあるそうだ。とにかく、秀才の一人だ)に会う。彼は「バカに涼しいな。こんな日大好きや。眠とうなる。」という。この風に吹かれて、それが巻き上げるようにして運んでくる微かな砂粒を頬に受けて、いつまでも立っていたかった。学校へ行くと妙に感傷的になる…。

×     ×

 もう一度万年筆を取り上げる。学期のスタートをこんなに長く悩まし続けるわだかまりを抱いて踏み切ったことは、かつてなかった。なぜだろうか。Minerva のせいか。

 注:ノート No. 1「楽しみと苦しみの通信集」

 5月1日(火)晴

 すぐやってみよう。前にトランプで試みた「ソロモン王の指輪」より、よほどマシだろう。結果が心配だが、もしも当っていなかったら、この試みの製作者に抗議するまでだ。(注:Sam の作成した性格診断質問表を試みる。)
 Yes が4、No が8だ。ふーむ、何もいえない!「3月24日以降のぼくの真実の姿」が、やっと自分で分かったような気がする。(注:診断結果いわく「君は少しセンチ過ぎるぞ。床についたら何も考えないですぐ眠りたまえ。心配事があったら誰かに打ちあけて助けを求めること」。)
 偉大な預言者、よい理解者よ、設問はよく考えられており、回答も慎重に試みただけに、判定結果は偶然だと思うことができない。この試みは、君がぼくを反省させてくれるものである。判定が他の項目に移るように努めなければならない現在のぼくである。
 早速、昨日「記録」に書いていた時のような心を打ち捨て、きょうは新しい問題を考えよう。(といっても、追究し解決しなければならないことは、あくまでこれを続けることは怠らない。)いろいろな感情を取り込み、これを消化し血や肉とする器官であるぼくの頭は、胃や腸でいえば、消化不良を起こしているらしい。「通信」と「記録」のノートは、ぼくの精神体重を測って、感情の消化具合をみる秤といえるだろう。そして、君は名医だ。「感情の消化器系統」を患って恢復期にあるこの患者は、何をどれだけ食べたらよいかね。——いや、考える力の相当ある患者は、名医に尋ねるまでもなく、自分で判断するであろう。——
 君は図書館から哲学の本を借りて来たって?ぼくも、これから図書館を利用したい。

×     ×

 図画。「美の啓培・趣味性の涵養」などと、国語の時間と間違えるような難解な語句を使って「図画科に関する説話」を2時間聞かされた後、先週からは「画用紙の上の説明」をやっている。「ここんとこの説明がちとおかしいね。」「細かいとこばかり説明せんで、全体的に見て説明するんだぞ。」飯田先生の説明という語は、表現のことにほかならない。
 肉付き豊かで、男性的な石膏面を「説明」したが、野球か何かの黒人選手のような「説明」になった。気に入らないが、まずいこともあるまい。ベーブ・ルースのように「説明」しているのや、青銅の石膏面(?)のようなのや、いろいろあったから。

 5月2日(水)晴

 新緑の頃は忙しい。国語乙の時間に新緑という題の作文を書かされたが、君との通信文の焼き直しをして、少し味をつけておいた。
 5限の授業を第1種欠席して、奨学資金を申し込むためのレントゲン検査に保険所へ。保険所や病院は、そうしなければならないように待たせる所だ。
 汗をかきながら、尻垂坂を登って、紫錦台中の前を通ると、天皇の出迎えか見送りかと思うほどに、道路が生徒の列で埋まっている。歩を進めると、立ち並んで見送る中学生の列の間を、いろいろな服装で行進している行列が目に入った。行列の先頭が見えるところまで追いつくと、石浦神社千二百年記念の時代風俗行列と分かった。生徒の列の中に、右目に眼帯をした長身の Becky(注:紫錦台中新聞部の後輩)をみつけ、帽子は取らずに、頭を下げて挨拶した。さらに数歩行くと先生方がかたまって立っておられた。今度は帽子を取ろうとしたが、先生方は皆行列に見とれていて、ぼくに気づかれない。手の挙げ損だった。生徒の一人には頭を下げ、先生方には頭を下げなくてよかったのは、妙な現象だ。
 放課後編集会議があるとのことだったから、間に合っていたらお慰みと編集室を覗くと、女子のクラブ員が掃除をしていた。「すんだワ」とそっけなくいわれたので、言訳を最も簡単に述べて、すぐに校舎を出、校門を後にした。第5限の解析は何をやったか気になったので、学科の中で数学を最も好むわが親友に聞きに行こうと、彼の家の方へズック靴を向けた。

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 偶然とは何だろうか。それは必然の一種であって、その必然的な運命の、ある人にとって好都合か不都合かという極端に問題になるようなことが、半意識的に予期されて実現したことである、という逆説的な説明をしたくなる。
 君には昨日もきょうも、だいたい同じ場所で都合よく会えた。昨日、ぼくはあそこから電車道路へ出ないで、裏道を伝って行こうかと思ったのだが、表を行けば、誰かに会って面白いことがあるかも知れないと考え直して(これが半意識的予期である)進行方向を変えたところ、あそこで君に会ったのだ。君がぼくの家へ来れば、帰りにはあそこを通るに決まっているから、あそこでなくても、同じ道を通りさえすれば、どこかで会うはずだが(これが必然の一種といいたい理由である)。あぶないところで会えたのが、その出来事を一段と偶然らしくするのかも知れない。

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 Bob よ、額を地につけては、顔が汚れるだけで、何のしるしにもならない。だが、君の気持だけは確かに受け取った。君も望みのものを貰いたいらしいから、それは、君が直接に、そして徹底的に頼む必要がある。Sam とぼくだけで行くのでは意味がない。君にとってこそ、Minerva は Venus なのだから、ぜひ君を連れて行かなければならないのである。

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 新緑の忙しさは風呂へ行く時間を失わせた。

 注:ノート No. 2「記録!それは単なる記録であってはならない」

 5月3日(木)晴

 相変わらず輝かしい日であっただけに、Bob の来れないだろうことは予期できた。延期また延期、こうしている間が幸福なのかも知れない。そうならば永遠に未解決であれ!(無理をいっているだろうか。)ぼくは、いまのところ幸福らしい。明日という、ぼくの首をキリンのそれのようにさせる邪魔な日がなかったならば、このうえもなく幸福だろうに。忘れないように書いておく。5日3時21分、大和4階。
 遠足は、ぼくを例外として、誰の心をも無邪気で愉快にするもののようだ。ぼくたちの方でも近々あるらしいが、そのときは、例外にされたくない。いや、しない。

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 バカらしいことで頭をひねらせられる。奨学生願書の希望する理由を書く欄だ。

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 空を仰げばその色だけで、君が今頃行っているテニスコートに響く快いラケットとボールのぶつかる音が分かるような日に、外界の明るさとは無関係に明るかったり暗かったりする本の世界を歩き回るのも、一種独特の味わいだということを君はかつて経験しただろうか。確かによいものだ。

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 憲法記念日は、無理に憲法を読まなければならないようにできている。明日憲法テストが全校を通じて行われる。

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 君と別れて電車を降り、そして歩いてくると、豪傑的なのんきな歩き方で渡辺先生(注:紫錦台中学の社会と体育の先生)が来られるのに出会った。「勉強しているかね」と尋ねられた。学校ではしているが、家ではするほどでもないといおうと思ったが、長たらしいので、「はあ」と答えておいた。「高等学校の方が中学校より面白いだろう。」といわれた。中学生時代には中学校が十分面白いと思っていたのだから、どう答えてよいか分からない。しかし、これも「はあ」ですませた。

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 「まだ持っていないものが何かあるということが幸福の不可欠の条件」ということばを、ぼくがどこかで読んだことがあるだろうと、君は書いているが、ぼくはそんな覚えはない。しかし、このことばを見つめていると、すでに知っている内容のような気がしてくるから、不思議だ。そのことばが普遍的真理であるときに、自分→そのことば→そのことばをいった人→普遍的真理の一直線が通じ、自分のいま見ていることばとそのことばをいった人(真理の媒介者)を経ないで、真理をくみ取ったような気になるらしい。しかし、このことばがなぜ真理か分からない。少し分かるようで、おおかた分かっていない。

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 「あわて者」とはどういうものか、A、B 2人に討論させてみる。憲法記念日の余興だ。
A「われわれはよく、ちょっとした間違いをするがどうしてだろう。」
B「ようするにあわてるからだ。」
A「なぜ、あわてることになるのだろう。急ぐときには、ただ、スピードを上げるだけで、しくじらなくてもよさそうなものに。」
B「そうできれば理想的だ。しかし、動作を速めようとすると、心が必要以上に急ぐものだから、釣り合いがとれなくてつんのめるのだろう。」
A「そこを、合わせる練習をするか、何度もやって慣れてはどうだ。」
B「いくら急ぐ練習をしたって、失敗を少なくすることはできないよ。豊かな知識と確実な判断がと伴わなくてはね。」
A「知識と判断、それをとっさの場合に供給する役目を果たすものも必要だ。それは、太くて機敏な肝だろう。」
B「参ったね。それらみなが、なくてはならないのだ。そして、あわて者はそのどれか、または全部が不十分なのだ。おやおや、われわれの生みの親が不機嫌な顔をしているぞ。」
A「もうやめよう。」

 注:Sam による欄外への書き込み
 「あわてる」ということは、1を知って10を知ったために、2から9までのどれかをかえりみることを忘れたことである。


 5月4日(金)晴

 坂を下るときに普通われわれは足を忙しく動かさなければならないが、足を使わずに手の握力を必要とする乗り物は、便利なようで、都合の悪いこともある。Octo と母校(「金の光」を校歌としている学校)へ行った。吉田、貫名、佐々木[「多幡さん、英語の試験(仮入学式のときの)百点やったてネ。がんばらにゃー。」]、瀬尾、田中(「どうだ、高等学校の授業めんどいか。」)等々の諸先生に会い、生徒議会が行われている教室を窓越しに気配だけうかがい、運動場で野球部の予備運動を見て、校門から出ようとすると、自転車で君が、多分ぼくの家へ行ったあと帰っていくのを見た。あっと思う間もなく、君の乗り物はぼくの声の届かない距離へ去ってしまった。
 いらないようで、やはり、なくてはならない日であったきょうも残り少ない。

 5月5日(土)雨

 Sam ありがとう。ぼくたちは何とバカをみてばかりいるのだろう。みな、ぼくが悪いのだろうか。「現代スタジオ」の主人は、まったく気が利かなくて奇妙な人物である。
 現実に返ってみると、しなければならないことが、机の上にも、中にも、下にも、前にも、後ろにも、左にも、右にも、いたるところに転がっている。

 5月6日(日)晴

 あまりにも忙しいのに、意地悪くも時はあまりにも速く飛び去る。夏時間に移るためにこどもの日からきょうにかけて、1時間が省略されたせいもあるかも知れない。しかし、Minerva の写像を待つ心がはい出すときは、むしろ、時の流れはひじょうに遅いのだ。
 歩いて歩いて歩いた。家の近くへ来ると、足を地につける毎に後ろ頭へ重いものが突き当たるような感じがするほど疲れた。君はどうしてぼくたちをあんなところへ連れて行ったのかね。司令官としての君の作戦は失敗だったと思う。裏の裏を考えることが好きでありながら、ごく純真でもある Jack も、まずいことをしたといっていた。いやいや、君を司令官にしたぼくの失敗だった。まあ、事件の解決の見込みだけはついた。Bob の方はどうだろうね。「現代スタジオ」の主人よ、昨日の無礼を許したまえ。
 将棋、碁、庭球。君はぼくにとってむずかしいものを奨めた。それらをぼくがしなければ、ぼくは円満な人格の持主になれないだろうか。これらの代りとなる何かはないだろうか。

 5月7日(月)晴のち曇

 ピリオドは打たれた。時に4時20分。ぼくは本当のぼくに戻った。復活!往年の自分!
 礼状を書きたいが気持が定まらない。ハガキではうまくまとまらないし、封書では長々とかかなければならないし、…。
 授業のちょうど半分が試験。明日は100%が試験。落ち着け、落ち着け。Thousand を southand とし、因数分解は途中までやった後忘れていたのが一題。

 5月8日(火)雨

 数学と国語は完ぺき。理科、「過酸化水素は( )の漂白に用いる」がピンと来ない。
 社会、天然資源を大きくわけると何資源、何資源があるか、六つ。四つはすらすらと出たが、後の二つはどうにかしぼり出した。何世紀のことかという問題で、鎌倉幕府。13としておいたが、開かれた年は1192年だ。9年の差で間違いになるのだろうか。同じ問題で、日欧関係の始まりとかいうのは、種子島へ来たのが最初とは思ったが、それに関する人名を一人書かなければならなかったので、次へ下ってザビエルにしておく。ところが、これが16世紀だったのを、17としたものだから、鎖国の17が18になって、この一題はさんざん。
 カムバックを目指していたので、あわてての失敗はしなかったが、それだけに、できていなければ、いっそう悪い。
 午後、先日行われた田中B式知能テストの結果調べ。知能テストとは検査のときも、調べるときも、どうしたらもっとも能率的かを考えさせるものだ。

(2001年4月30日掲載)
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 以下は "Ted's Coffeehouse: Youth" に連載中。(ブログ・サイトを利用しているので、日付の後の分が先に出て来る。連載では、交換日記の相手 Sam の日記も平行して掲載。私自身は、Tedというニックネームになっている。


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