IDEA-ISAAC

Diary
青春時代の日記から
________________________________________

多幡達夫
________________________________________

Copyright © 2000 by Tatsuo Tabata


目 次


高校生時代(1)
 以下準備中

大学生時代(1)
大学生時代(2)
  • 分校学園祭・コンパ
  • 国史学論文など
  • 冬休みとその前後
  • 宇治分校との別れ
    大学生時代(3)
    大学生時代(4)
    大学生時代(5)
  •  
    大学生時代(2)


    分校学園祭・コンパ

     1954年11月15日(月)晴

     (注:数式3行省略。)
     数学ゼミがようやくテキストを用いて始めた。
     昨日君にちょっといったが、漱石の変わった「べき」の接続の仕方、「我輩は猫である」の最初のページで、まず「第一毛を以て装飾されべき筈の顔」に出くわした。

     11月16日(火)晴

     人びとの疲れたときの気持を象徴するような色彩を帯びて、ものうく横たわっている彼方の山やま。天心からそれらへ近づくにしたがって、半ば剥げた感じの黄白色と淡紫色への移調を行っている空の色。その中へ頭をちょっと差し入れている公孫樹の秋装をも、生の倦怠的な表現として感じさせるような濁った空気。その混濁が無理に振動させられ、子供たちの遊び声、遠くの警笛の音、地面を摩擦する箒の音、何かの鳥声、バケツの音、飛行機のかすかな爆音、それらをくたびれた一つの音階として伝える空気の中に、近隣の家からの夕餉の煙が流れ、低くなる西日の暮色漸投作用に協力しているように見える。
     2限後の休憩時間、市川君に会うつもりで45番教室の方へ行くと、堀野君がちょうどその外を一人で散歩していた。彼と一、二の会話を間欠的にやりながら、しばらく待って、ついに市川君に会うことができた。

    ×     ×

     「就職するということは、一方面の知識においてはなはだしく専門的になることだ」と、就職後の感想を述べた Sam のために、John Addington Symonds の Culture に関する随筆中の次の個所を記しておく。

    Specialists, unless they be creative geniuses of the most marked type, require to be armed by culture against narrow-mindedness and the conceit of thinking that their own concerns are all-important.  . . .  Culture is, therefore, absolutely essential to the mental well-being of persons confined by their craft or profession to a narrow range of intellectual interests."


     Sam に対してこういうことを強調するのは、キリストに垂訓をするようなものかも知れない。が、上の文を写していて思い出したついでに、「宇治って田舎だな。途中下車をするといったら、駅員が変な顔をしていた。」という、彼のユーモア的観察表現が、今後他の判断の機会に職業的偏見へと悪転化して現れることのないよう(注:Sam の職場は日本交通公社)、前期に習った A. G. Gardiner の "Alpha of the plough" の一節をもここに写そう。

    In some degree, we all have this restricted professional vision. The tailor runs his eye over your clothes and reckons you up according to the cut of your garments and the degree of shininess they display. You are to him simply a clothes-peg and your merit is exact ratio to the clothes you carry. The bootmaker looks at your boots and . . ."


     11月17日(水)晴

     なすべきことの多くがその中に分散して存在しているため、心は懸濁質の状態を呈している。
     母から便りが来る。

     11月18日(木)晴

     下校時、先を歩いていた堀野君に北門を出たところでようやく追いつき、彼の肩を指でちょっと押して気づかせてから、次のような言葉を交わした。
     「化学のゼミは?」
     「サボった。君の物理は?」
     「サボった。」
    後の「サボった」には深い意味が含まれている。いくらか残念ではあるが、先々週のきょう考えていたことを撤回して、君が10月26日に記しているように、「他人の行動に幻惑されず」に、やはり自らに適した歩みを試みることにした。——自らに適した方をという態度が、新しい艱難に対する尻込みであってはならないことを、もちろん考慮に入れての上のことだ。——
     君の詩についての感想をまだ記していなかった。ここに記すことにしよう。10月29日のところにある「思ひ出」は、内容がいささか観念的であることが、技巧の高さに比して惜しまれるように思う。同じ題の高校時代のものの方が、テクニックは別として、真の詩の要素を含んでいるとみるのは、ぼくの僻目だろうか。「ピエルとジャン」は、君がそれを作った年頃における、小説の主人公に対する感じ方が、簡潔に表現しきれているところが面白い。

     11月19日(金)雨

     物理実験は、前回より操作が簡単だったためもあるが、調子よくできて、3時過ぎに完了した。金属棒の縦振動に空気柱が共鳴し、水平におかれたガラス管内に散布しておいたコルクの細粉が縞状になって踊りだし、規則正しい模様を作りだす美しさは、この実験を楽しく遂行させてくれた。
     数 C の時間の終りを少し割いて貰って、篠田君が、宇治文化祭にわれわれのクラスから出す演劇の脚本が大体でき上がった旨を発表した。内容は学園の諸問題を、いくつかの断片的場面の総合によって、風刺的・問題提起的・解決模索的に構成したもののようだ。出演者はクラス全員となっている。

     11月20日(土)晴

     篠田君らが中心となって作った演劇の脚本は、観衆吸引力を全く欠いていたため、放課後のわれわれのクラスの集まりは、その検討に長時間を費やした。今後の修正と練習によって、どれだけのものにまで持っていけるか、はなはだ心もとない。修正の名案は、ぼくにもちょっと浮かびそうにもない。

     11月21日(日)晴

     数 B の前期試験問題、(1+1/2+. . . +1/n−log n)のn →∞における極限値の存在の証明において、真木君がとった方法は誤りだったのだ。一見もっとものように見えた彼の運算中の過ちは、(1−1/2+1/3−1/4+1/5−1/6+1/7− . . .)と(1+1/3−1/2+1/5+1/7−1/4+ . . .)という両無限級数の同一視が非難されると同様の秩序破壊にあるものと思われる。彼はこの誤謬によって、数学界においてその性質がなお未知のオイラーの常数に log(1/2) という値を与えてしまっていたのである。

     11月22日(月)晴

     とにかく練習だ。練習だ。
     "The Scarlet Letter" (岩波文庫版)読了。「ジャン・クリストフ」の所感をまだ書き終えていないが、それに先だって、この書の感想を簡単に記す。罪に関する物語が、このように光輝を帯びた色彩で描き出されているだろうとは思わなかった。Hawthorne の文章は、漆黒の地(ぢ)の上に散布された鮮やかな七色の光の粒が、その地の黒さを引き立てながら、全体の特殊な輝きを作り上げているように感じられる。それは、けっしてヘスタの胸の上の緋色と、この物語の主題である「罪」の象徴としての暗黒色の組み合わせからのみ来た感じではあるまい。森の風景や幼いパールの描写において典型的に用いられている影と光の細かに交錯した、交錯しながらも中間的な薄明るさ、あるいは薄暗さになり終わらず、両要素がそれぞれ独立に小さな結晶をなしているきらびやかさ——ヘスタの刺繍以上の——、そういった文章の綾織りを見せてくれるところは、この作者の好ましくて特徴的な書きぶりだ。ヘスタ・プリンヌとアーサー・デムズデールは、前者は恥辱の表象の下での敬虔で献身的な態度を通し、後者は神の烙印の下での、真実であろうとする絶えざる苦悶を通し、ともに精神の一方向への徹底的な凝集が行われた人物としてみごとに描かれている。「をはり」の章中の次の個所は、ここに書き留めておきたい。

     憐れな牧師の悲惨な経験から、強い感銘を与へる多くの教訓のうちで、これだけを今一文につづる。「真実であれ!真実であれ!真実であれ!最悪の事でなくとも、最悪の事が推測されるやうなものは、これを遠慮なく世に示せ!」と。



     11月23日(火)晴

     午後、演劇の練習に行く。  大矢君が一、二週間前からいつも携行して、休み時間などに計算らしいものを自ら試みながら読んでいる本が、何であるかを彼に訊ねたところ、ラッセルの「数理哲学序説」だった。
     最近の忙しさは、多くの時間が欲しいという一つの平凡な欲望を、いっそうの切実さという覆いにくるんで、自分に突きつける。物理学的あるいは哲学的な見地は別として、生活的見地から時間という概念が含み持つ性格を考えるならば、それは、与えられるものである以上に、われわれ自らが作り出すべきものである、といえるように思う。そしてそれは、うまく使うことがうまく作りだしていることになり、さらにいえば、使うことそのものが、そしてそれだけが、作りだすことになるような消費物である。

     11月25日(木)雨

     8時近くに帰宿して、Sam からの手紙を机上に見出し、ズボンもはき替ないで、すぐに読んだ。愛読したことのある文豪の作品にしばらく触れる機会がなかった後で、再びその作家の別の作品を手にして読み始めるときに感じるような気持を抱きながら、一枚、二枚、三枚と一気に読んだ。が、「最後の章」へ入ったときは、Sam に対する批判的な気持を高めながら読み進まなければならなかった。
     昨日、3、4限を日光のよく当る座席で聴講したことが、体温の部分的変化を起こし、その変化が何らかの身体的弱所に作用して、発熱をもたらした。帰宿後、化学の問題の予習をひじょうな苦痛の下で不完全にやって、君に借りている「有難い有難い」という文で終わる書物に少し目を通して、肉体的不快を精神的快でいくらか紛らせ、9時半に就寝した。薬は半ば効いた。きょうは腹の具合も少しおかしい。もう、物理学実験指導書を読むだけにして、寝床に入らなければならない。多くの仕事をここ数日前方へ押しやってばかりいるが、まあ、後の楽しみということにしておこう、いくらか苦しいように思われるものをも。

     11月26日(金)晴

     両測定法の結果が全くずれている。球指の目盛の読み違えか。月曜日にでも、ぜひもう一度やってみる必要がある。

     11月27日(土)雨

     踊った。練習した。楽しんだ。帰宿10時20分。
     井上君のセリフによれば、「全体の秩序の中に何のわだかまりもなく溶け込んで…」だ。音響と律動の中における心身の遊泳、それがもたらす炭火の穏やかな燃焼。生命の軽快な触れ合い。人びとが死者の霊魂をまつる頃に、町や村の広場で行われる伴音楽スポーツの輪の構成員となることの愉快さについて、Sam がときどき書いてくれたが、その一端がいまようやく分かったように思う。

     11月29日(月)晴

     昨夜、われわれのクラスは会場の後始末もして帰った。われわれの「エチュード」は第3位、合唱は等外ながら第4位、君たち L3 のものと、ほとんど差がなかったそうだ。いや、ハーモニーにおいては最も優れていたそうだ。
     凸面鏡の曲率半径を、2限後の休憩時間に、田中君と測り直した。やはり、球指による測定操作の不完全と、その目盛の読み違えだった。望遠鏡による測定値から出した数値の平均とほとんどぴったり合った。
     (注:欄外のメモ)By such a slow degree, did the very useful and obvious arts make its way.
     宮地教授の分校文化祭講演、サルの芋洗い文化。

    ===(注:ここでノートを交換)===


     11月30日(火)晴

     柿崎教官の講義はなかったが、奨学金の面接を同教官から受けた。前回のように不快なまでにやり込められることはなかった。「いままでどうにか受けてきた伯父からの補助も伯父の会社の不景気のため今後はとても望めない」ということを申し込み理由の中に書いておいたので、案の定、伯父の勤め先を聞かれた。教官が調査用紙をあちらこちらひっくり返している間に、学校側で記入する推せん用紙の中程にあった四つの活字とその横に判で押された3桁の数字がぼくの注意を引いた。「入試得点」…それが過去の精神活動の何らかの測定値を表わすものとして、現在においてなおいくらかの意味ありとすれば、ここに次のような計算結果を記すことを許して貰いたい。それは、入試後に合否を気づかって、かなり厳密に自ら算出した予想得点より、ちょうど自分の進適の得点だけ上回るものだった。それが、脳中の視覚印象の誤りでなければ、いまのぼくは謙虚な自信をもっと高めて、さらに灼熱した試練の炎の中へ飛び込まなければならない。
     11月15日から24日までの君の日記への感想として、次の一ヵ所にのみ触れておこう。17日のところに書かれている「単なる記録」についてである。Sam が彼とぼくの交換用に提供した最初のノートに「記録:それは単なる記録であってはならない」という標題をつけたのを思い出すと、じつに面白い感じがする。「“自然科学 A1 の”と記するだけでも既に私の感覚は不愉快といふ世界に入りそうになる。」と書いたときの君の感じは、日記を少し長く続けているぼくにはよく分かるように思う。それは、ぼくが何らの思索性も含まない文章をつづった後で読み返すときに、ノートのその部分に対して感じることのある、空虚感を主要素としたある種の嫌悪の念と同一のものではないだろうか。このノートの中にも、すでにそういう念を起こさせる個所がいくつか生じている。それはともかくとして、君は単なる事実を羅列するのみという仕事を不愉快だと感じながらも、日記中におけるその種の仕事の正当さを認めているが、ぼくは「日記に許される事実の羅列」は、Sam のつけた標題通り、「単なる記録にとどまるものであってはならない」と思っている。「事実の羅列」といえども、何らかの意義あるものにするよう努めるべきであろう。(注:原文の末部は煩雑を極めていたので、ここではそれを大幅に簡略化し、最後の2文とした。)
     独文法の教科書にあった Goethe の文をここに書き留めるついでに、君のために拙い訳をつけておく。(注:本サイトではドイツ語のウムラウト記号やフランス語のアクセント記号が表わせていない。)

    ×     ×

    Nur allein der Mensch
    Vermag das Unmogliche;
    Er unterscheidet,
    Wahlet und richtet;
    Er kann dem Augenblick
    Dauer verleihen.

    人間のみが ただ独り
    不可能事をも なし能ふ。
    彼は行ふ 判別を
    さらに 選択・裁決を。
    永遠性を 一瞬に
    賦与するすべを 彼は知る。


     12月1日(水)うす曇

     独文法臨時試験。"Von Gestern bis Morgenfruh" という題で自由作文。"Nicht sobald waren die Augen geschlossen worden, als plotzlich schlief ich schon ein." とすべきところを "Nicht sobald wurden die Augen haben geschlossen, . . ." などという奇妙な形にしてしまったのは失敗だった。試験後の休憩時間にすぐ気づいたのだが。しかし、この個所以外の100余語は間違いなく、かつ筋の通った文章として書いたつもりだ。
     放課後、同学会代議員候補者推せんの件でクラス討議。討論の焦点がぼけたままで、むやみに長引き、後味が悪かった。

     12月2日(木)雨

     先日フォークダンスにあまり夢中になったため、雨靴の片方の底がかかとの方からはがれてきていたことに、きょう初めて気づいた。右足を水たまりに落とさないようにと、跛行しながらも、戦場で勇敢な負傷をした中世の騎士が抱いたかも知れないような気持に何となく包まれながら、教室から教室への道を闊歩した。
     君が妖精と呼んだものに対して、まだまだ負い目があるのだが、一、二のすむべきことがすんだということは、自分と妖精の停戦状態のようなものを感じさせる。妖精と戯れたいといった気までが、心のどこかで頭をもたげようとしている。しかし、戦おう。

     12月3日(金)曇

     あまり多くを語ることはないが、身近な一般的話題をとらえて、そのまま独特の軽い笑声に変わる傾向の強い、上あごの奥での反響を伴った声で話す堀野君は、物理実験室へ行く途中、「急に寒くなったね」といっていた。「急に」といえるかどうかは、ちょっと疑問だが、とにかく師走らしくなってきた。入学試験のときは、旅館で晩になると洋服の上から丹前を羽織って、平清盛を連想していたが、いまも寝巻を背中に掛けている。
     物理実験 partner の田中君の特徴を二、三表現してみたい。のどから鼻へ通ずる辺りの空気柱が舌の動きに共鳴しているかのような一種のふくみ声。貴族的のびやかさの下に整えられていて、ある超俗性が注意力のわずかの逃散の後へ入り込んでいる顔立ち。クラス討議における、自ら「頽廃的」と称した、保守的・懐疑的・否定的意見の発言者。わだかまりのない線による、つま立てをしたような文字を書く、鷹揚な感じの手。

     12月4日(土)晴

     S1 のコンパ。歌、酒、食事、そして歌——デカンショ節、反戦自由の歌、国際学連の歌、等々——、歓呼、精気の大発散、はしゃぎ、親和、明朗な精神の横溢。くだけたスマートさで、娯楽的雰囲気を作りだす大野君。隅の方から明治時代的豪快さのこもった蛮声を発していた中村君。宇治コーラスに属する堀野君の弾力性ある声による独唱。あらゆる個所で手際よく調子を整えて、会を進行させた篠田君。宮崎君の音楽的雰囲気調整。やせ型長身の青木君の、スケールの大きい庶民的学者型の存在感。自らをよく異集合の中に調和させていた宮嶋さん。いずれも興味深い一癖のある30数名。

     12月5日(日)小雨

     火鉢を出して貰う。北陸の雪空を思わせる空だ。衣裳を散らせてしまった公孫樹は、タイルの不出来なものに見られる表面の亀裂模様に似た細枝の集合を、冷気の中にさらしている。
     社会という進行物の一つの車を動かすことにすでに取り組んでいる Sam のために、再び J. A. Symonds の "Culture" から。

    True culture respects hand-labour upon equal terms with brain-labour, the mechanic with the inventor of machinery, the critic of poetry with the singer of poems, the actor with the playwright. The world wants all sorts, and wants each sort to be of best quality.


     12月7日(火)曇一時小雨

     地学が休講だったので、 "Une Vie" (モーパッサン「女の一生」岩波文庫版)を読んでいたが、ズックの中で足先が冷たいと感じられるような気温になってきたのに驚いた。
     心理学が終わって帰りかけたとき、「ちょっと待って下さい」と、その講義時間の数少ない聴講者全員を呼び止める者がいた。同学会代議員全学区候補理学部3回生某氏の選挙運動であった。他人に好感を与えるように先天的に獲得された話しぶりで、微笑むときに白い歯並びをくっきりとのぞかせながら、同学会の重要性について数分間語った。
     小粒の雨の中を新田君と話しながら帰る。彼は馬術部へ入っているそうだ。
     夏休み前の宇治川縁での君との話合いを思い出させる女性のオーバーの明るい紺色と、街頭の「吉田内閣遂に総辞職」という速報掲示紙の文字とが、下校時の視覚器官に対する不快ではない物理的刺激だった。

    ×     ×

     心理学の時間に、課題解決において「開明」の生ずることを示す例として挙げられた文、"a konom ur a kawin ihc at imik" は"Chips" の "Obile heres ago fortibus es in aro." を思わせる。(注:この節は、欄外への記入。前者の文は、妙な外国語に似せてあるが、後ろから読めばよいことに気づけば、たわいもない。)

    (2000年8月7日掲載)
    ページトップへ


    国史学論文など

     12月8日(水)雨

     静かに机に向かってなすべき仕事をたくさん蓄えているいまのぼくとしては、君との話し合いにいくらかの時間を費やしたことは痛手であったかも知れないが、しかし、それはまた、ぼくにとって、静かな仕事とは別の大きな意義のあるものだったと信じている。
     石川県人会。七尾高校出身の近江君一人の案によって招集されたものだったとは意外。

     国史学論文下書き「古事記における倭健命」(12月6-13日)

     古事記の倭健命関係の記事を各方面から眺めて、その歴史的意義を、資料としての古事記の諸性質をも考慮しながら追究するとともに、また伝説としての倭健命の性格を明らかにすることを、この論文の目的とする。
     倭健命に関する記述のある古事記中巻の日代宮の段は「大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)、纏向の日代宮に坐しまして、天下治しめしき。」という文で始まっている。続いて景行天皇の御子たちの名が記され、倭健命はその中に、景行天皇と針間之伊那毘能大郎女との間に生まれた御子として「小碓命、亦の名は倭男具那命」と記されているのであるが、この段の帝紀は次のような問題を含んでいる。すなわち、景行天皇が「倭健命の曽孫、名は須売伊呂大中日子王の女、訶具漏比売を娶し」たという不合理な話と、御子八十王の中五十九王は(この数にも信じられない点があるとしても)記に入れずという記述とから考えられる古事記の原史料たる系譜そのものの、この時代あたりの部分における不備性である。原史料が系譜などといった形で書記されて存在したと推定されている帝紀においてさえ、上記のような信じ難い点、不完全な点が生じているからには、この段の倭健命の旧辞においては、その伝承的性格のゆえに、いっそう真実性から遠く、歴史性も減じているものとみなければなるまい。
     また、倭健命の伝説の間々に、「故(其地をば)今に焼遣とぞ謂ふ。」「故其の国を阿豆麻とは謂ふ也。」「故其の清泉を居寤清泉とぞ謂ふ。」などといった、風土記に多い地名説話の類がしばしば見られる。この種の説話の背後に流れているものは、現在存在する事象の起源を過去の偉大な神や天皇、皇子の言行にもとづくと考える神話的歴史意識である。神話的歴史意識が存在したということは、その時代において神話が現実に生きたものであったことを示すものである。したがって、地名説話の類の多く含まれる旧辞は、それだけ、よりはなはだしく時代とともに発展させられ、変改されてきた神話伝説であると考えなければならないであろう。
     以上に考えたような理由による倭健命伝説の歴史事実からの大幅な遊離性は、われわれが古事記の記述から歴史の真の様相を掴み取ろうとするときに、その記述解釈の上に一つの重い枠を与えるものである。しかしながら、伝説の発生にはその基盤となるものがあるはずであり、いかに複雑な発展・変改の道をたどったとしても、あるいは、その成立時にすでに、いかに大きな真実からのずれがあったとしても、それ自身の生まれ出た基盤の上から全く足を落として伝説が存続することは不可能であろう。そして、伝説の基盤は何かといえば、それは歴史的事実なのであるから、倭健命の遠征そのものについては、これが何らかの歴史を反映しているものとみないわけには行かない。それが崇神段の大毘古命、建沼河別命、日子坐王らの東国治定の記事などとともに、大和朝廷の統一形成過程の一端を示すものであることは、一見して明らかであろう。
     では、倭健命の征討からはどのようなことが読み取れるであろうか。「東西の荒神、伏はぬ人等を平けたまひし」倭健命の最初の遠征は、西方の熊曽健平定のためのものである。この熊曽健平定説話は、神武東征伝説を皇室が九州から出たという歴史事実を物語るものとみるときに、不可解な矛盾を提起するものの一つとなるのである。といっても、古事記の伝えるところでは、熊曽の人種も居住地も実態もはなはだはっきりしていない。ただ、西方の皇室に容易に従わない人々ということぐらいしか分からないのである。古事記の中・下巻は上巻に比し、その中の旧辞の物語の性格が、宗教的色彩よりも歴史的色彩の濃いものになってきているのではあるが、倭健命の遠征説話には、まだ呪術的宗教的性格のかなり強いことが認められる。地方平定に当って彼は、武力征服よりもむしろ地方の神々と戦うことに苦しんでいる。東征の帰途「(倭健命)足柄の坂本に到りまして御粮食す処に、其の坂神、白き鹿に化りて来立ちき」とか、白き猪になった伊服岐能山之神が「大氷雨を零らして、倭健命を打ち惑しまつりき」とかいったことが出て来るのは、宗教的信仰の厚い古代人の未開荒涼の辺境へ進み入るときに、未知の地方の荒漠たる自然にひそむ敵がいただく未知の神々の威を怖れ、これと宗教的に戦う必要のあったことを表わしているものと考えられる。
     古代において原始的小国家の酋長が単に武力的な威勢のみでなく、宗教的権威の保持者・司祭者としての性格を持っていたことは、諸民族についてみられることである。また、倭人伝に卑弥呼が鬼道に仕えたということが記されていることからも察せられるのであるが、こうした酋長と戦わなければならなかったという事実も、上記の神話的表現を生んだ根底にはあったものと思われる。
     ところで、先に述べたような伝説の性格からみて、この倭健命の説話がその通り一人の英雄によって一時代に行われたとは、直ちに考え難い。それでは、この伝説が描いている倭健命の本体は、いかなるものなのであろうか。ある歴史事実を中核として説話が構成され、それが伝承されるとき、その中核はいろいろな変形を受ける。この変形を大きく二種類に分けるならば、その時代の歴史的あるいは宗教的意識にもとづく、いわば意識的なものと、形成・伝承の過程において半ば自然に生ずる非意識的なものとになるであろう。英雄の神秘化、事件の政治的一方向への意味づけ、宗教的解釈の添加などは、前者に属するものであり、民間の伝説や歌謡の偶然的付会、事件と人物の関係の混同、説話の一部の脱落あるいは前後関係の転倒などは後者に属するものである。
     さらに、結果的には同一の形をとっていながら、あるときは前者に属するとみなされ、またあるときは後者に属するとみなされるもの、つまり両者の合同したものとみなされる一つの変形がある。他の人々のなした類似の業績の記憶や、同種の多くの事件が、みな一人の英雄に集中され、それに吸収されるという変形がそれである。この、英雄の膨張的・統合的変形が、場合によっては、上記分類のいずれの側にも属するということの理由を記すことは、この分類の基準を繰り返して書くことと大差のないことになるが、あえて明示しておけば、神話的歴史的意識が英雄神秘化の方向へ働いて生じたものである場合と、伝説の形成・伝承の途中における操作過程的歪力が類似要素の一括、強要素の残存と、それのより一層の強化、弱要素の蚕食という方向へ働いて生じたものである場合があるということである。こう考えてみれば、英雄を中心とするあらゆる伝説は、この種の変形を受ける可能性を多分に持っている。いや、多少なりとも必然的に、この変形を受けて来ているとも考えられる。この点から倭健命はどのように解釈できるだろうか。(注:上記の種類の「変形」についての集合論的説明を、カッコ書きで数行ここに加えてあったが、明快さを欠いており、本サイトに掲載するに当たり削除した。)
     ここで注目すべきはヤマトタケルという名である。古事記の伝説中には熊曽健が小碓命に剣で刺し殺されようとしたときに命に奉ったものとして、その由来が説話化されているが、それがヤマトの勇武なる人という意味であることは、長期間にわたる多くの大和の天皇・皇子・武将たちの事跡が、その名の下に凝集され投影されたものである可能性を示唆している。また、「宋書」に記された倭王武の四百七十八年の上表に、「昔祖祢(祖先)より、王みずから甲冑をきて山川を跋渉し、休む暇もなく東のかた毛人五十五国を征し、西のかた衆夷六十六国を服し、渡って海北九十五国を平らぐ」とある。代々の天皇による国家統一事業推進の模様を伝えているこの記事も、倭健命が膨張的・統合的英雄となっているだろうという推測に一つの根拠を与えるものである。このように見てくると、われわれがこの説話から抽出し得る歴史的意義は、歴史的事実の集約的な性質のものであるということができよう。
     (注:次節は未完で、斜線を引いて削除されている。提出論文は前節で終りとしたようだ。)
     最後に古事記における倭健命の記事の精神的な面——この物語が生み出された時代背景の精神に関する面——における歴史的意義を少し考えたい。この時代に神話的歴史意識が存在したことはすでに述べたが、その意識あるいはこの時代のその他の意識がこの説話中にはどのような形で現われているだろうか。

    「古事記」(岩波文庫)、「京大日本史」第一巻を参考とする。

     12月9日(木)曇、暖い

     朝、食堂で同学会代議員選挙に投票した。
     田中君が月曜日の休憩時間に撮ってくれた写真を貰った。一、二分隔てた二つの瞬間の自分の像をくらべてみると、一方は少しマシだが、他方はいやに悄然とした格好をしていて、見ているとわれながら嫌気がさしてくるのは不思議だ。
     君の「主観的精神的生活標識の上で主観的肉体的生活標識が踊っている」という表現を、けさ、厠で思い返しながら、じつに面白いと思った。これに関する考察もしたいが、先日からしばしば書いているように、ぼくの頭の中で未知という容貌から既知という容貌への変化を受けるために、先着の札を握った、学習対象という婦人連が美容院の前に長い列をなしているので、上記の件は、来るべき初春のものとして残しておこう。
     国史論文の「意識的変形」「非意識的変形」の分類は、英雄の統合的膨張という変形を述べるための冗長な前置きの役割しか果たしていないが…。随筆形式に流れがちだ。

     12月10日(金)曇

     鏡に映った目盛尺のもう一つの鏡の中の像を顕微鏡で覗いて、Young 率を測る。

     12月11日(土)晴

     教養部合唱コンクール。「進めいざ」「別れ」「いつきの子守歌」3位獲得。2位の吉田理学部2組と知恩寺で合同茶話会。疲れた。

     12月12日(日)晴

     けさ君のところで数ヵ所拾い読みしただけで、アランの「幸福論」におけるその著者の幸福観の傾向を判断することが許されるとすれば、それは、幸福の度合いが、生活に対する意志の支配度に比例するという見方だといえよう。活動のない平静状態より、活動のための苦痛の方がずっと幸福だ、という意味のことが書かれていたが、この言葉には、君への手紙にも書いた「ジャン・クリストフ」中の「死せる真理よりも真理を求めて懸命なうごめきを行う誤謬の方がはるかによい」というような言葉と共通する要素がある。その要素をうまく表現することは難しいが、それは何か、生の本質を希求する精神といったものを主成分とする化合物であろうか。それはまた、偉大な魂が多分に包含すべき化合物でもある。
     学校の食堂へ昼食に行ったことは、松原君(注:Abe の友人、文学部)との会話をぼくに与えてくれた。淡泊な慇懃さという言葉が、彼の一面を表現するのに適しているかと思う。

     12月13日(月)曇、朝のうち雨

     "Une Vie" のある個所に「凍った水の粉の落下」と表現されていた天然現象の初の襲来。
     国史学論文は不本意ながら9枚と7行で打ち切ることにした。もう少し長くできないでもなかったが、「述べるために書かず」、「書くために述べ」続けたことは、極度の倦怠をもたらした。昼食後、大野君が彼の論文をぼくに手渡して、明日提出しておいてくれといって、午後の数学演習に出ないで帰って行った。彼とは親しく話したことはないので、彼がぼくに依頼したのはちょっと意外だったが、読んでもいいかと聞いて、引き受けておいた。彼は「東大寺盧遮那仏について」と題して、ちょうど20枚書いている。しかし、彼のものは、資料の書き写しに過ぎず、ぼくの論文とは全く趣を異にしているので、読んでいて毫も興味が湧かない。

    高さ    5丈3尺5寸
    顔の長さ  1丈6寸(或は尺か?)
    広さ    9尺5寸
    宝髪の高さ 3尺
    目の長さ  3尺9寸
    口の長さ  3尺7寸
    耳の長さ  8寸5分

    その他、掌の長さ、胸の長さ、腹の長さ、指の長さ、脛の長さ、足下銅座の高さ、さらに、成分金属の類別と重量、材料の寄進者、労働奉仕者などの数までも書いてある。ぼくがこの題目から予想したのは大仏の主として文化的意義に関する論考だったので、この内容にはいささか驚いた。しかし、ぼくの論文を書く態度において、資料の収集が不十分だったことは、この対照的な論文の筆者から非難されるべきことであろう。
     立命館大学で行われた不戦の集いにおけるスパイ事件を議題として、放課後、クラス討議があった。自治委員の一人の槌田君の発言は急進的でありながら、その方向への偏りをほとんど感じさせない巧みなものがある。その方向への彼の自己誘導が徹底されていることが、彼の意見に力強さを与えている。

     12月14日(火)晴れたり曇ったり

     ジュリアンとジルベルトが死んだ。(注:「女の一生」を、その話まで読んだことを意味する。)この死を導くまでのフールヴィル伯爵の行動とその小屋の転落の描写を読むときには、「アンリェットのパリ祭」の中で、一方の脚本家が唐突な追跡・殺人の場面を導入するのを画面で見せられたときに感じたのに似た、情景の急転回に対する滑稽感を伴った興味と、その情景自身が与える懸念という相反する感情の混合を経験した。
     ———緋線———時は力なり、精神の甦生に対する最大の援助者なり———

     12月15日(水)晴

     Axial dilatation と shearing strain とを突破した。じつに何でもないことだった。精神界における推測力という力は、心構えという磁場の作用を受けたり、先入観という電流に影響されたりして、しばしば精神対象に deformation を与えているものである。われわれはこの deformation を取り去って、対象を真の姿においてとらえるとともに、自らの精神内の磁場と電流も正しい状態に持って行かなければならない。

     12月16日(木)晴

     鉛筆を転がして行動の方向を定めた。
     53.0 kg で足踏みを続けいた体重が、さらに 0.5 kg ばかり減少している。考え得る唯一の原因は摂取量の不足だ。

    ===(注:ここでノートを交換)===


     12月17日(金)晴

     邪魔をして済まなかった。こういう奇妙な訪問を行ったりすることを、ぼくの人間興味の強さの現われだと解して貰いたい。
     「習作(新講堂)」、「学校の講堂は丁度人の眼と同じものだと思ひます。」は「学校と講堂の関係は丁度人とその人の眼との関係と同じものだと…」とした方が理論的にすっきりと響くのでは。

     12月18日(土)晴

    我今より新たなり
    不自然にして不自然ならざる不連続点により
    一飛躍を試みるなり
    そは「ファウスト」の中に言はれたる
    迷いの中にありてなほ真の方向を見失はざる
    正しき人間の歩みをぞ歩む心なる

    ×     ×

     感想の感想に対する感想から書こう。「序」に書かれた「時」に対する君の考えは、「永劫のものの中からその一部を取り出し得たと仮定する時その一部にはもとの全体の "時" が含まれているであらう」ということだと、君は11月30日に記しているが、これはほとんど、数学における「無限」の概念をその定義通りに説明したに過ぎない。君がこのように一片の「時」に対して「無限性」を認める根拠の方をむしろ述べて貰いたかった。これについては、また次の機会に書いて貰ってもよいが、ここには、この問題についての、ぼく自身の回答を記しておこう。ぼくが一片の時——その精神的側面——に無限性を認めるのは、先に記した Goethe の言葉の終りに述べられていたような意味においてである。すなわち、一片の時に無限性が与えられるのは、人間の真摯な活動によってである。一定有限の時間における人間の活動が、長期的な価値のあるものの産出に向かっているとき、その活動は、比喩的にいえば、一瞬間に永遠性を与える所作であり、ここに一片の時が持ち得る無限性があるといえよう。(注:この節の終りの数個の原文は、煩雑を極めていたので、それらの内容を合わせ、最後の一文にまとめた。)
     ぼくの「霧」の描写に対する「非難」は、自らは気づいていなかったものだけに、ありがたく思う。が、君の指摘している点は、ぼくとしては特に失敗だったとは思えない。なるほど、霧の描写において、「"霧" 自体の持つ淡い夢心地、神秘性」を強調することは重要であろう。しかし、ぼくはあの朝の霧の中を歩んでいるとき、そうしたもののみを感じたのではなかったし、ノートに表現するときにも、霧のそうした性格を浮き彫りにすることのみを主眼としたのではなかったのだ。というと、でき上がった絵の欠点について傲慢な弁解をする画家のように感じられるかも知れないが、次のように説明すれば、分かって貰えるかと思う。霧には模糊とした神秘性という著しい性格もあるが、さらにそれは、遠くから望んで模糊としてはいても、そこまで歩いて行って、先に神秘的と思った位置に自ら立ってみると、自分の周囲は遠方から見たときほど模糊としてはいないという性格も持っている。一地点に焦点を合わせ、そこへ歩むことを考える場合、霧の模糊性・神秘性は漸消的なのである。また、灰白色の半ば眠った美もよいが、その朦朧性が曙光の強化に伴って次第に散らされて行こうとしている状態、すなわち、異なった二性格の美の穏やかな闘争も、あの朝ぼくの感覚を打ったものであったのだ。そして、神秘性のわずかな決壊は浪慢性をもたらす傾向が大である。これらのことが、ごく自然にぼくをあのような筆づかいへと導いたのではないかと思う。
     愛国心のところの感想としてぼくの書いたことをもう少し砕いていって欲しいということだが、これは君がどこが分かりにくいのかを聞いて、口頭で説明しよう。
     理性を地殻にたとえた問題に関する「純粋理性」の語を用いての君の説明は、よく分かった。不純物の意味での弱所を選んで、そこへ内圧を誘導するのならば、大いに結構だ。「純粋理性」についての考察は、他の機会にぼくも試みよう。

    ×     ×

     「飽和度の限界によって空中から駆逐された水蒸気が、毎朝屋根や草木の上に白く固着する季節となりました。…」伯父宛に葉書を出す。

     12月19日(日)雨

     朝食に行く前に、吉浦の伯母と Jack に帰沢の日を知らせる葉書を書く。食堂から帰って、しばらく机に向かっていると、下宿の女の子が二枚の葉書を持って来てくれた。Jack と母からのもので、どちらにも、いつ帰るかと書いてある。みごとな行き違いだ。
     ふたたび君の日記を開こう。(日記のための日記の傾向が大になることは好ましくないが、機会の許す限り批判をし合うところに交換の意義があると思う。)「習作 "やさしい言葉の配置における感覚"(生活)」は小学生の一年間の生活と季節の移り行きの「古典的陳列」という言葉で批評しておこう。模範文的な描写の粋といってもよかろう。しかし、この文全体を貫いて、そこに統一性を与えるべき特定の意図あるいは考え方といったものがみられないことは、この作の力をいくらか弱めているように思う。そういったものの必要性を君は認めないだろうか。「寒い灰色の冬は、木の葉が散ってしまって一層寂しくなりますから、私はあまり好きではありません。それで沢山書かない事にします。」というところは、英国の随筆家の作中にみられるたぐいのユーモアをはらんでいて面白い。*
     (注:欄外に記入。)* 桜、筍、梅雨の季節的順序についても注意しておく(母が気づいたもの)。12月29日記す。
     君の11月30日の記述へ戻って、文章の論理性について。君が「恐らく」といって推察しているように、ぼくは断然「不十分なものは、やはり十分なものにしなければならない」と主張する。「語呂」などは論理の従僕でなければならない。文章の高等な役割は思想を正確に伝えることにある。(「思想」をきわめて広義に解すれば、上記の「高等な」は省いてよい。)そして、真実な思想は論理的欠陥を有してはならない。文章が真に生き得るのは、その役割に忠実であることによってである。したがって、優れた文章は論理的欠陥を排除するものでなければならないことになろう。文学作品中において、文法的さらには文脈的に整合性を欠いた文章を用いることが有効な場合は、もちろんある。しかし、そのような場合の文章は、いまぼくの問題にした論理性を喪失していることにはならない。ぼくが論理性の欠如と呼ぶのは、文章表現が「思想の正しさ、完全さ」を歪めている場合である。

    (2000年8月10日掲載)
    ページトップへ


    冬休みとその前後

     12月20日(月)曇

     "Une Vie" を読み終わる。先日(注:12月15日)、先入観などによる精神対象の変形ということを書いたが、ぼくは、まさにこの種の変形を与えたものを、この作品の真の姿と誤って予想していた。モーパッサンに被せられている自然主義作家という名称が、何か醜悪な、ひじょうに陰うつな作品を予想させたのだったが、読んでみるとそうではなかった。この書物全体としての感じは、訳者後記にある通り、「侘びしい書物」というものである。「二人の人間が決して魂までは、心の奥底までは、互にはいりこむものでないといふことを、生れて初めて」ジャーヌが気づくというところは、読んでいる途中、大きな意味が含まれていると思い、ノートにそのページを控えておいたのだが、思いがけなく、訳者後記にも、「モーパッサンが到底かくすことの出来なかった激しい感慨」の表現されている個所として、ここのところが抜き出されている。
     読後感が鑑賞的な内容からは、ずれることになるが、ぼくはこのモーパッサンの感慨を真実として受容できないということを、ここに記したい。すなわち、ぼくは「人間の魂の絶対的な孤独」を否定したいのだ。「ジャン・クリストフ」(この書の感想が中断したままになっているが、もう少し後の機会に続けることにする)におけるジャンとオリヴィエの魂の融合のようなものをみるとき、われわれは、けっして魂の絶対的孤独が人間の宿命ではないことを知り得るのではないだろうか。モーパッサンは「並んで歩くものであり、時々からみ合ふことはあっても、決して融け合ふものではない…」と書いている。化学において融け合うといえば、二種の物質が互いに入り混ざることであって、両物質の成分元素の結合から新しい一つの化合物を作ることを意味しない。人間の魂の融合も、それは、二人の精神が各人の固有性を失うことなく、微細な部分にいたるまで親しく触れ合うということであろおう。人間の心がいかに千差万別であっても、これが不可能なことであり得ようか。不可能などころか、二つの精神がともに真実を求める方向に向いている場合、相当容易なことでさえあるのではないだろうか。(この場合にも、もちろん、時として大きな外的障害が両者の間に横たわることはあるが。)
     "Une Vie" から感じたもう一つのことは、モーパッサンは、ごく平明な真理でありながら、社会一般の動きがそれに反するものであったり、それに気づかなかったりするようなことがらに対して、きわめて直截的な形で、それをわれわれに書き示しているということだった。二つの死骸を前にしてどなった乞食の言葉「ほら見ろ、出る所へ出りや、俺達はみんな平等じゃ。」は、その一例である。

     12月23日(木)(帰省後、午前に記す)

     昨日授業の始まる前に、後町君が川田君に「ヒルトンが死んだね」といったとき、ぼくは「ヒルトン…ジェームス・ヒルトン…」と頭の中で繰り返してみたが、とっさには思い出せなかった。みごとな失念ぶりだ。真木君が、彼のいつもの短い言葉によるユーモラスなコメントを挟まなかったならば、思い出すのに相当の時間を要したかも知れない。彼はこういったのだ。「チップス先生のように…。」チップス先生死去の場面を、その作者の冥福を祈る意味で、ちょっと読み返してみたい気がするが、あいにく、あの教科書は下宿に残して来た。

    ジェームス・ヒルトン氏[ロング・ビーチ(米カリフォルニァ州)21日発 = AP]英国の作家ジェームス・ヒルトン氏は21日肝臓ガンのため当地の病院で死去した。54歳。日本に知られている主な作品には「失われた地平線」(1933)「チップス先生さようなら」(1934)「ランダム・ハーヴェスト」(1941)= 邦訳名「心の旅路」= などがある。最近10年間ハリウッドの映画の仕事をしていた。(23日付け朝日新聞)

    ×     ×

     このノートを開かなかった一昨日と昨日のことを記しておく。
     21日。地学が突然休講になる。昼食時まで図書室で過ごすため、読了せずに返却した「罪と罰」を借り出そうとしたが、すでに誰かが借りて行った後だった。他の本を借りても2、30ページしか読めないだろうから無駄だと思って、仕方なく協組書籍部で岩波文庫赤帯808を求め、それを読んで時間を費やすことにした。
     探偵小説というものは、読者を特殊な奥深い境地へ引きずり込むものである。その境地とは、謎と怪奇とが縦糸・横糸となっている幕でおおわれた、そこへ入る者をして他の世界をしばし完全に忘れさせ、彼の注意力をすべて吸収し、彼の関心を先鋭な形に固着させる場所である。これに読みふけっていた目をその書物から放して、周囲をゆっくり見回すとき、われわれは初めて現実世界の存在を想起する。この想起は、この種の小説の耽読の最中には、ほとんど起こり得ないのである。これに反し、「ジャン・クリストフ」(まだ書き上げていないこの書の感想の一片一片が、思わぬところへまき散らされていくことになるが)のような、その中に人生のじつに多種多様な問題が含まれている小説を読んでいるときには、われわれは自らの思索や感覚に、こうした特殊な方向——現実の問題を遠く離れた方向——へのはなはだしい偏りを生じさせていることは少ない。
     しかしながら、ポーのデュパン物を読み耽っているときに、いま述べたような情況になるという事実も、けっして K さんの先生がいわれた「読書の現実逃避性」が探偵小説の類いにおいては当てはまるということを裏書きするものではない。なるほど、探偵小説がその種の代表であるように、読者の精神を一時、完全に書物の中の世界のみに閉じこめてしまうような書物というものはある。しかし、その書物が深遠な芸術的意図の下に書かれたものであるならば、読者は、読んでいる最中には現実からいかに完全に離れていたとしても、読後においては、その書が現実の何らかの問題をとらえていて、作者がその問題において自分に大きな影響を与えてくれたことを必ず感ずるに違いない。読書からのそうした収穫がある限り、けっしてそれは現実逃避とはいえまい。
     帰宿すると伯父から電報で、明日の晩は来客があって都合が悪いと知らせて来ていた。少し考えたが、帰省はやはり23日にしようと思った。物理関係の書物を探すつもりで、面倒だったが、丸善まで出かけた。そこで、川田君に会った。ゴッホの画集を開いてみたりしながら、二人で本の間をぐるぐる歩いた。彼は、T. S. Eliot の "Notes towards the Definition of Culture" の和訳と、弟妹たちのためにといって、S. モームの「読書論」その他を買った。ぼくはとくに買いたいものがなかったが、川田君が「もう出ようか」といったとき、ここまで出て来ながら、何も買わないで帰るのも馬鹿らしいと思い直し、彼を待たせて、長く考えたあげく、君の日記の「"純粋理性批判" を読んで古来多くの先人が難解であると云ってゐる…」という記述を思い出し、岩波文庫青帯2を買うことにした。妙な書物の買い方をした一日だった。
     22日。朝、黄檗で電車を降りたとき、松原君がちょうど帰省のためその電車に乗るのを見かけた。電車の中と外とで別れの挨拶を交わした。ドイツ語が終わったのは10時頃。これならば、いまから帰った方がよいかも知れないと思って、急いで帰宿。下宿の小母さんに予定の変更を告げて、グレン・ミラーとヘレンのスピーディな結婚を連想しながら、直ちに荷物を整え、部屋を片づけて、11時50分発の汽車に乗った。京都からは、急行だったが、6時間近く無言で座り続けていることは、周期5秒あまりの捩り振り子の90振動を数えなければならなかった物理実験のときに要した以上の忍耐力を必要とした。夏休みに帰るときには、京都女子大かどこかの学生が二人、通路の向こうの席に掛けていたので、彼女たちの会話に耳を傾けていることが、いくらか退屈をまぎらわせてくれたのだったが。

    ×     ×

     (夕方記す。)けさヘレンという名を記したばかりだが、それに扮したジューン・アリスンが、米映画業界誌「ボックス・オフィス」が行った全米映画スター人気投票で、3度目の1位を獲得したという記事が夕刊の4面に出ている。9月4日に試みた顔の描写の一つは、この女優のものだが、あまりうまくできていない。

     12月27日(月)雪

     反省と憧憬と悔悟と決意が交錯する。アランは、想念に定着性のないのが健全だ、偏執は病だといった意味のことを「幸福論」のどこかに書いていた。しかし、神よ、決意達成のために最後の偏執を許し給え。それは次のように書くことだ。ぼくが、いまのぼくの定義する意味において、真に新たなのは明日からだ、と。

     12月28日(火)曇

     帰省以後、いたずらに日を送っているような気がする。君が知りたいかも知れないぼくの家の様子や、金沢の町の様子をまだ少しも書いていないことを許してくれ給え。きょうから少しずつ書いて行こう。

    ×     ×

     「死んだはず」の者が後で出て来ることになる外国の文学作品を当てさせる「話の泉」の問題中に、Enoch Arden が出題されたのを聞き、ぼくは間髪を入れず、横で針仕事をしていた母に「これだ!」と叫んだ。英語で習っている Alfred Tennyson のこの詩の予習をしていたところだったので。

     12月29日(水)雨

     午前、Jack 来る。午後散髪。
     静かな晩だ。母に君の日記を見せる。

     12月30日(木)雪

     部屋の整理。

     12月31日(金)晴

     ラジオの紅白歌合戦が賑やかで、落ち着いた思索ができない。が、いまはその必要をとくに感じない。魂の清新さを容れるための住居の清掃と、一年の中で、月と日の和が最も大きな日から、最も小さな日へ移るために必要な種々の準備に、一日の大半を当てた。

    1955年1月1日(土)晴

     茶の間の窓の全面積の八分の一足らずを占めている空の青が、じつに美しい。地上の万物を覆いその微少な間隙をも充填している空気は、きょうはそれら万物の特別な玲瓏さの媒体となって、自らも清い透明さを誇っているように感じられる。
     満年齢が実用化されて以来、齢を重ねるのを祝うという気持と元日の関係は薄れてきているが、高齢の祖父について一言書いておくならば、けさの NHK 番組「ラジオ年賀状」で、91歳とかの徳富蘇峰氏の健やかな声を耳にするにつけても、わが祖父のはなはだしい精神の朦朧化が惜しまれてならなかった。
     24ページからなるけさの北国新聞の第一ページに「原子と人間」と題する湯川博士の文が載っている。
     「"あひみての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり" とは原子を知った今日の人間の心境であるともいえよう。」
    という書き出しで、人間による原子の発見という出来事を、宇宙の長い歴史の中で眺めるときに感じないわけにいかないその運命的性格について述べた後、自然法則の人間に対する束縛の程度についてわれわれが正確な知識を持たないこと、そのため希望と不安とがあり、「人間の努力の余地」があるのだということなどに言及している。創立記念日の講演にも、この随筆の末部にみられるのとよく似た話があったので、先日それを思い出して方々へ出す賀状に引用したところだ。この朝刊とぼくの賀状の双方に載っている博士の言葉をよく比較して読む人があれば、その人は、そこに共通して見出されるものが、博士の研究態度の根底をなすものであることを知って微笑むだろう。(午前記す)

    ×     ×

     午後、先頃新しく移った吉浦の伯母の家を訪れる。長火鉢の縁におかれていた水飲み鳥の玩具の、一見永久運動のような動きの原理について考えたが、よく分からない。
     夜、ぼく宛の賀状14枚に対して、母と審査・採点を試みた。3位までの得点(40点満点)は次の通り。(1)Sam 33点(2)Octo 31点(3)Abe 29点。Sam からのものは、毎年のことながら、創意・工夫と真面目さに満ちている。Octo のは特別な趣向はないが、文字やその配列の美しさと、簡潔な言葉の中にも彼の生活の一端がにじみ出ているところが、高く買われた。Abe の3位は、毛筆の文字の見事さによる。
     高校2年で用いた国語の教科書にあった片山敏彦の「ジャン・クリストフ——海に入る大河——」という文を、先日読み返した。昨年11月13日の続きを記そう。
     S. モームの「読書論」に書物の価値はそれを読む人にしたがって異なるものであって、重要なのは、それが「私にとって」いかに価値のあるものかということである、というようなことが書かれていたと思う。これを言い換えれば、一読者に対する書物の相対的価値(前記の「価値」と同じものを指すが、これとは異なった絶対的価値というものもあると想定して、形容の語を付加した)は、その読者がその書物に触れたときの精神構造に依存するということになろう。(以下再後述)

     1月6日(木)雪

     昨日までの記録:
     2日。午後、引揚げ以来の(それ以前のものもわずかにあったが)母の関係の写真をアルバムに貼付する仕事で、母を手伝う。
     3日。Octo の訪問を受ける。その後で、Jack を訪れたが、不在。中へ入って待つ。Tom(注:中学の一年後輩)とそこで合う。彼は就職の道を選ぶことにしたそうだ。
     4日。朝から Jack 来る。昼食を中に挟んで、会話とトランプによるゲームで過ごす。彼が帰った後、直ちに床につく。風邪のためである。
     5日。終日床に臥す。懸念が頭をめぐる。眠る。発汗する。夕刻から気分がよくなり、「我輩は猫である」を開く。
     けさ遅く床を離れる。窓外に白粉の降下盛ん。堆積量20センチ余り。(午前記す)

    ×     ×

     a、b、c の形が複雑ながら a2 + b2 = c2 となっていたため、回りくどい計算で、(c/b) sin[tan-1(b/a)] = 1 という簡単な結果を得た。

     1月8日(土)曇

     フランス総天然色映画 "Le Rouge et le Noir" に関する記事が「アサヒグラフ」1月12日号に出ていて、河盛好蔵氏のこれに対する感想も載っている。氏は
     「監督のクロード・オータン=ララはベッドシーンの大家であるから、ジュリアンがレナール夫人に挑んだり、マチルドの部屋に梯子をかけて忍んでいく場面などには腕によりをかけている。しかしレナール夫人のダニエル・ダリューは老けすぎてもう一つ魅力に乏しい。」
    と述べている。君もぼくとの会話において、「この点がもう一つ疑問だ」などと、"another" の訳の当てはまらないところで「もう一つ」という語の奇妙な使い方をしていたので、君の口癖か何かだろうと思っていたが、河盛氏までがこういう使い方をしているとは、この語は流行語ででもあるのだろうか。(注:「いささか」あるいは「不十分」という意味で用いられる関西的言い回しのようだ。)

     1月9日(日)金沢=曇、宇治=雨

     帰省しても「ただいま」といい、帰宿してもまた「ただいま」という。
     昨日は JTB へ切符を買いに行き、駅へ手荷物を出し行くなどで忙しかった。前者の行動は、Jack と共にした。後者の行動で運搬したものが、まだ届いていない。
     一昨日の午後、Sam が来た。彼に君の「日記及び随想」をちょっと見て貰った。感想を訊ねたとき、彼は「いままとめる」といってやや長く沈黙を続けたので、ぼくの保持してきた無口さが彼の方へ乗り移ってしまったのかと思って心配したが、彼の読みなれたぼくの文章とはかなり変わった調子の文章をいきなり見せつけて、即答を要求したのが無理だったに違いない。しかし、一、二の感想は得られたので、後ほど口頭で君に伝えよう。
     休暇中にこのノートに記したかった考察や描写をほとんど不遂行のまま帰って来てしまったが、気長にやっていくことにしよう。

     1月10日(月)晴

     超越は溺没との苦闘の後に来る。

     1月12日(水)晴

     放課後、理学部1、2組合同で、合唱コンクール参加と民青連歓迎のための討議。
     下校時の車中から、宇治駅へ定期券を買いに行くついでに散歩をするのだといって、片山君が話しかけてきて、県神社の横で別れるまで、彼の性格と読書の関係とでもいうべきことがらについて語ってくれた。別れる少し前、彼はぼくの歩行時の姿勢について忠告もしてくれた。机に向かっているときの首と肩の角度が、歩行のときの姿勢としても固定されていたのであろう。早速直す努力をしなければならない。

     1月16日(日)晴

     "Exposition d'Art Francais"、この中の絵画から得た感じを一言にまとめるならば、写実の精妙さということになろう。第13室か第15室に「こわれた水差」というのがあったが、それはいまドイツ語で習っている Heinlich Zschokke の "Der zerbrochene Krug" がそこから取材されている Zschokke の部屋にあった銅版画というのを思い出させた。しかし、こちらには「若い恋人同士」のほか、「こわれたマリョカ焼の甕を手にして喚いているおかみさん」と「鼻の大きな裁判官」が描いてあったそうだから、同題でも情景は全く異なっている。が、ルーヴル展における「こわれた水差」が、"Der zerbrochene Krug" の一場面の挿し絵としての適切さを持っていたこと、それに、この全く同一の題名、これらはこの絵と Zschokke およびクライストの競作文芸作品の何らかの関係を意味してはいないだろうか。とまれ、ぼくは今後は Colin と Mariette のイメージに「こわれた水差」の絵の中の男女の姿を付加しないでは Zschokke の作を読むことはできないであろう。

     1月17日(月)晴

     「子よ、心安かれ、汝の罪ゆるされたり」マタイ伝第9章2節。
     "Burn the midnight oil" という熟語を教えてくれた「蛍雪時代」の添削教室の英語の問題文を、いま調べている教科書の中に見出して、懐しく思う。A. G. Gardiner の "Alpha of the Plough" の中の "On Early rising" の章の終りの方だ。

     1月19日(水)晴

     君の誕生日を祝す。
     ぼくがこのノートに記す話題において、その選び方のいくつかの傾向のうちに、次の著しい一傾向があるようである。すなわち、対象相互間の類同性抽出における帰納的思惟操作の快を楽しむという傾向がそれである。元日の湯川博士の言葉に関する記述も、この傾向に強く支配された話題の取り上げ方をしたものといえよう。じつはここでも、湯川博士のあの考え方に似たことを述べている他の文章を引いて、進歩あるいは発達一般に関するわれわれの不可洞察性という、一面の妥当な考え方を理解しておきたいと思うのだ。(以下後の機会に)

     1月20日(木)曇一時雨

     化学の時間の前に、後町君が川田君に話していたところによれば、彼はルーヴル展の「こわれた水差」を "Der zerbrochene Krug" の一場面としては不適当と考えているようだ。彼は、その中の青年と娘の様子が睦まじそうであるところが、この小説と相反するといっていた。
     朝、毎日新聞第4面の某氏(著名な教授ででもあったかも知れないが覚えていない)の「ルーヴル展を見て」という文を念入りに読んだりしていたため、いつもより一台後の電車で行くことになった。氏はフランス美術の歴史的瞥見を目的とした出品選択の周到さ・適切さ、および会場の陳列の妙について称賛的に書いていただけのように思う。君とぼくが共に行く前に期待していながら実際に行って見たときには見出さなかった何か「より以上の迫力」といったもの、それはやはりこの美術展においては求めるべきものではなかったようだ。柱頭やステインド・グラス、ゴブラン織りなどの視覚経験が、この展覧会からの一つの大きな収穫物とされるべきであろう。

    (2000年8月17日掲載)
    ページトップへ


    宇治分校との別れ

     1月23日(日)晴

     dU =(U の T による編微分係数)dT +(U の x による編微分係数)dx であれば、(U の x および T による2階編微分係数)=(U の T および x による2階編微分係数)が成り立つ、ということが理解できないが、そうなるものとして読み進むことにする。

     1月24日(月)晴

     夕食後の君との会話は、カントの論述をぼくが不十分にしか把握していなかったことを如実に示してくれた。

    純粋理性批判
    「純粋理性批判」第一部の図式化

     1月26日(水)雨後晴

     「純粋理性批判」の疑問点を半ページあまり書き並べてみたが、あまりに雑然とした記述になったので、そのページをカットした。同書の第一部を検討して得た図式のみを、先日からの考察の一端としてここに記しておこう。

     1月27日(木)曇、朝雪

     朝、黄檗駅から北門までの道の、登校方向左手に展開する風景は、微細画となって横たわっていた。

     1月29日(土)曇一時雨

     昨夜、河上祭前夜祭合唱祭。
     (1月19日の続き)その文章というのは、organidsyion というミスプリントのあった英語のガリバン刷りテキスト、T. S. Eliot の "Notes towards the Definition of Culture" の序文のことである。そこには次のようなことが述べられている。
     「われわれが考える以上の多くの原因が作用し、その原因のあれやこれやによる結果が一緒になって作用することがひじょうに多いので、われわれは新しい文明の中に生きるということがどういう感じを与えるかを想像することはできない。」
     「われわれが作るあらゆる変化は、われわれがその性質について無知である文明をもたらすのであって、その中にあっては、われわれは皆不幸であるかも知れないのである。」

     2月2日(水)晴

     日々の生活の上に波状に襲ってくる精神の快と不快の周期的連続模様——これについてはアランの「幸福論」にも書かれていたようだ——その不快の波を調整して快の波に変えるための三極真空管をわれわれは心に備えたいものである。

     2月3日(木)晴

     畳の上に豆が転がっている。この榴散弾が追い払うことを目的とする赤面有角の架空の動物、無自覚のうちに、いままで彼としばしば同居していた自分の心を、この弾丸の一粒一粒の念入りな咀嚼とともに反省する。

     2月4日(金)晴

     吉浦の伯母からの葉書。一人の人間という高等な有機体が、その機能の全き衰弱の末、消滅の時刻へ向かってのみひたすら運ばれて行く——著しい危機の迫っている祖父の近況が記されている。
     下校時の吉田君の話、ジュリアン・ソレルと野口英世には共通したところがあると。また、彼はゲーテの、意識的に完全さを求めたところが気にくわないと。物ごとには無意識に取り組むのでなくてはダメだと。で、「無意識的であろうと努めることも、また意識的ではないか」と反問した。彼はこの疑問を無意味として退けようと試みたが、その理由を聞かないままに別れなければならなかった。結局、彼は以前に読んだといっていた「次郎物語」の中に書かれている「無意識の意識」と同一のものを信奉していることになるようである。なるほど、彼の言葉では、彼は「無意識の意識」という意識の主張者ではなく、「無意識」自体の主張者であった。しかし、懐疑主義が主義として主張されるときに生ずるのと同様の矛盾の存在によって、彼が純粋な無意識の主張者であることは妨げられる。すなわち、「無意識」に対し、その価値を意識の働きによって考え、その獲得に向かって意識のかかわる努力を行うとき、彼は「無意識の意識」者にならざるを得ない。

     2月8日(火)曇

     国史論文が返却された。地学の時間の前に真木君と交換して読みあった。彼も日本武尊(倭健命)に関しての、自らの頭を相当使った論文を書いていた。柴田教授が講義で述べた「わが国の記紀の神話は、ホーマーの叙事詩における英雄のような、美しく人間的に成長したものを生み出さず、ひからびた、いじけたものを作りだしている」という側面を、古事記中に表現された倭健命の行動・性格において自力で明確に読み取り、それを簡潔に述べているところは注目に値する。「天皇の命令のままに動かなければならなかった運命の悲哀を伴った東洋的英雄」というような言葉を、彼は日代宮の段の説話から抽出することに成功している。スサノオノ命との比較も面白く書かれていた。「序説」で、古事記の成立事情と当時のわが国の社会的・政治的状況を述べていたが、それと本論の結びつきが弱かったように思う。また、文字の使い方に統一性が、文体に迫力がなかったのも惜しまれる。
     ぼく自身の論文を読み返して、貧弱な結びのための散漫で茫漠とした論述だと感じた。
     先日来、毎日新聞に「歴史の人気者」という囲み記事が連載されている。けさの平賀源内で20回ほどになるが、初めの2、3回を気づかずにいて、読まなかったのが惜しまれる。この記事は、歴史上の各種の人物について、人気者となったゆえんを背景の時代精神の面から解剖し、その人物のできるだけ潤色されない姿を取り出し、そこに歴史的意義のあたらしい見方を示してくれる。原稿用紙の枚数にすれば、われわれが書いたものの三分の二位のものだろうが、新解釈という興味深いメスさばきがそれだけのスペースで手際よく行われていて、それを読むことが、近頃の毎朝の大きな楽しみである。

     2月10日(木)うす曇

     "Der zerbrochene Krug" の試験。問題文中の誤りらしいものには気づいたが、自分の犯した誤りはないようである。

     2月11日(金)晴

     けさの「歴史の人気者」に日本武尊が「叙事詩の中の英雄」という見出しで取り上げられていた。自分が先に調べたり考えたりして親しんだ事柄について、後に印刷物上で触れるとき、その記事が自分に対して特別親密に話しかけてくるように感じるものだが、けさも、この大和朝廷の国家統一過程を象徴する英雄に関する記事をそのような感じとともに読んだ。西洋におけるホーマーの叙事詩に相当するものとして、わが国の歴史書中から日本武尊伝説を取り出したのは、戸山正一だと書かれていた。

     2月14日(月)曇

     原子のある種の結合と配列、それがその周囲の空間に輝きと吸引力を与える。その像の上に一度でも注がれたすべての目が、その目の持主に大きな精神的危険を与えはしないかと思わせる。鷹揚な薄紅色の頬が、精神界・物質界の、とくに前者の、ありとあらゆる明るく幸福な、希望に満ちたものの支配者のように眼前にきらめく。歩いているときのその像は、身体の重心が、注目する任意の場所に存在するような感じを抱かせる。そして、その髪は…。ある女神像。

     2月15日(火)晴

     試験。
     有機化学、tertiary alcohol の酸化については知らなかった。Primary alcohol については、RCH2OH→RCHO としたが、この後へ "→RCOOH" を付け加える必要があるだろうか。マロン酸合成の説明でも、細かい点で不十分だったかも知れない。
     地学、餅盤の図解、その他においていくらか不備だったと思う。
     国史学、「会合(えごう)」とは、都市に設けられたもので、郷村にはないのだろうか。「町や農村における自治組織の…」と書いたが。「時衆」とは何だろう。「国衆」も少し不安だ。

     2月16日(水)曇

     英語、assumption、immanent、superstition。

     2月17日(木)晴

     英語、family は、あの context では「家柄」の意だとは思ったが、「家族」と訳したのはどうだろう。"—more even than that," を訳し落としたのは、うかつだった。
     西洋史学、「ヨーロッパ封建社会の構造」について書いた中で、Benefizium と Vasallitat が荘園制度の根幹であるように書いたのはまずかった。もちろん、これらの二つからなる封建制度は、荘園制度の形成にもかかわり合っているわけだが。

    ×     ×

     3年ばかり前の日記に、国語表現のローマ字化と漢字の簡略化に関連して、国語のテキストの一節の漢字の部分を自己流の超簡略化字体に変えて書くといういたずら書きをしたことがあった。そのときに書いたのにも似た恐ろしく簡略化された文字をけさの毎日新聞の文化欄に見出して驚いた。(最近、ウスクダラの町を歩いてみて「驚いた」という歌が流行している。)それは、中国における漢字簡略化運動の記事だった。簡略化案中の興味深いものが20例ばかり、現漢字と対照して示されていたが、一見して将来のものの方が、野蛮な字体であるような印象を与えた。このことは、Eliot の "Notes towards the Definition of Culture" 序文の次のところを思い出させた。". . . and I cannot imagine the most ardent or radical reformer of that age (eighteenth century) taking much pleasure in the civilisation that would meet his eye now." 「陰陽」の2字が、それぞれ、こざと偏に月と日であるのは一理ある簡略化だが、旁(つくり)が音(おん)を表わすならば、月と日が陰と陽に相当する新たな音を与えられることになって、この面では複雑化が起こらないだろうか。とにかく、長い歴史によって形成維持されてきたものに大変革を施すことはなかなかの大仕事であろう。

     2月18日(金)晴

     無機化学と体育生理。体育生理は(A)代謝測定(B)心臓の鍛練、の運動生理学的意義について述べるもので、A または B を選択すればよかったので、B をとった。

    ×     ×

     下宿の井上夫妻離婚。おばあさんは、慰謝料の受領書まで持って来て、plauderhaft に何か話していったが、あまり要領を得ない。立ち入って聞くまでもあるまい。

    ×     ×

     悪法だからといって従わないのは、二重の罪を犯すことになると習ったと君はいっていたが、この「二重」という言葉に疑問がある。いつか君に聞くことにしよう。

     2月19日(土)晴のち曇

     物理(この試験は、形式において、また、問題を出した田村教授の精神において、他の試験とはかなり異なっている)。第3問題の意味するところは、テキストの p. 365 にある高温物体から低温物体への熱伝導の例と同じことになるように思うが…。4問題の前半の解答には、当該液体の分子量という与えられていない値を入れなければならないようだが…。同様のことについていえば、3問題においても、質量と比熱の値が必要ではないのだろうか。5問題については、ぼくは田村教授から説明を貰った(注:答案提出時にヒントを聞き、帰宅後それにしたがって計算してみたのであろう)。次のような Kreisprozess を無限に多く考えることによって解決できるのだ。(以下、式数行略)
     哲学。素朴実在論と批判的実在論は、これらを併置して書くだけでなく、間に反省的実在論を挟んで、常識から学的認識への推移として書いた方がよかったかも知れないが、把握が不足だった。さらに、観念論の諸立場についても、いくらか詳細に書くべきだっただろうか。ということは、哲学史上の種々の認識論に中心をおいて述べるべきだったか、ということにもなるだろう。しかし、あの問題の場合、すぐに思いついた「見解の分類」は、認識論上のそれよりも、認識論と密接な関連を有し、認識の対象である実在の性格規定を問題とする「形而上学の立場」の分類だったし、また、その方が純粋に「対象」を問題とした分類になり得るのではないだろうか。講義の「認識の対象」の項で述べられているいろいろな歴史上の論は、対象に関する立場としては、結局、唯物論と唯心論という両形而上学的立場のさまざまな割合の混晶といえるのではないだろうか。
     Pyrhon の生きた時代を古代の「末ごろ」としてしまった。Encyclopedists の大主要人物を落としていた。Copernicus の説明に付け加えた彼の哲学史上の影響についての表現があまり的確ではなかった。

    ×     ×

     けさの毎日新聞の「読者会議室」欄に風変わりな投稿が載っていた。「金言に対するレジスタンス」と題する、ある会社員のもので、古くはソクラテスの「汝自身を知れ」から、新しくはラニエル元仏首相の言葉まで、また、よく使われるところではイギリス俚諺の「雄弁は銀、沈黙は金」だの、ビュッフォンの「文は人なり」など、ちょうど1ダースの金言を挙げ、それに対抗する言葉を記し、金言の妥当でない点や矛盾点を指摘していた。しかし、彼のいうレジスタンスの意味には、大いに疑問がある。たとえば、「文は人なり」に対して、「行いは人なり」と書いているが、これは真のレジスタンスではない。双方の短文は、着眼点を異にしているのであって、これでは、力士と剣道家のそれぞれの専門の技で両者を比較しようとするようなものであり、直接対決にはならない。

     2月21日(月)晴

     心理学。「自己中心的思考」に関係させるものは、視野の分節度の観点から「絶対反応」ということになるのだったか。「記号」は?
     数学。Sam がかつて日記に書いた「有史以来の大変動」という言葉が思い出される。それ以上の大変動だ!(以下3ページ余りにわたって数式、一部は斜線で消してある。)4問題、十分条件解決、9時20分前、残念!2問題がまだ解けないが、明後日以後の準備にかからなければならない。

     2月23日(水)曇

     独語、annehmen の意で aufnehmen を再帰動詞として使ってあったが、これは問題の誤りではないだろうか。この動詞の不定形の前の uns が再帰代名詞であることに気づかず、3格の変な使い方だと思ったのは、うっかりしていたが、答案作成には影響はなかった。
     (注:数式数行省略)
     一昨日の数学 B 問題2の前半。べらぼうに簡単ではないか。けさ、真木君が家で食事中に思いついたといって教えてくれたのだが。sin x / x を sin x / a で押さえるべきところを、1/x で押さえることを考えていたのだ。心理学で習った「中心転換」がわずかに起こりさえすれば、解決はすぐに得られたのだ!後半の証明はこれよりいくらか手の込んだ操作が必要かも知れない。後で考える。

     2月24日(木)晴

     数学 C、第3問題、剰余群の元についてのみ説明し、その積について書かなかったのは不覚。
     数学 B 、問題2の後半を試みる。[以下、6行にわたり数式があり、最後に「したがって sin x / x の0から∞までの定積分は存在する。(証了)」とある。]

    ===(注:ここでノートを交換)===


     3月3日(木)曇

     26日の試験終了以後、けさまで、下宿の変更をめぐって、君にいろいろ世話になりながら、呑気に愉快に過ごした。
     昨年のきょうのいまごろという関係付づに意味ありとすれば、それはぼくが入学試験の数学の問題と取り組んでいたときであって、いまこうして静かに宇治での1年間を振り返ってみると、まことに感慨深いものがある。——緊張のため前夜なかなか寝つかれず、からい目で登学したが、全く講義のなかった始業日。宇治の校舎の机の独特な匂い。"Das ist ein Klassenzimmer. Das Klassenzimmer ist gross und hell.  . . ." 食堂、クジラの甘煮、ハモフライ。「ε positive に対してδを適当に小さくとれば…。」理学部1、2組合同討議、原水爆研究・製造・実験・使用反対。Matrix (aij)。ラジオ歌謡「雑木林に月がでた」を心の中で繰り返すと、まざまざと思い出される台風12号の頃、眠れぬ夜、デムズデール先生とヘスタ、前期試験。君が昨日話したような「のどかさ」を伴って思い出される苔寺の庭園、柔らかい色彩とロマンスの連想。北門を入ったところから食堂までの弾丸道路に沿って多く並ぶサンゴジュの赤い実。「エチュード」、「日本はるばる訪ねてみたら、町を歩いて驚いた。これでは国民が可愛そう。…国中の大臣を自慢の腕で放言責めにしてみてやろうと、すごく力んで出かけてみたが、放言されたのは国民だったとさ。」主観的精神的生活標識。田村流物理学、「邪念をなくして静かにお読みになれば分かりますよ。少々ミスプリントなどあっても、判じ物だと思えば…、」quasistatistische Prozess。立花屋への往復時の会話、「カントが空間を先天的直観形式だとするのはね、…。」オリオンの三つ星、"I profess that I am so nervously a lover of accuracy that when I have written an article, . . ." 等々。——

    ×     ×

     (1月1日の「ジャン・クリストフ」の感想の続き)先に記した「書物の相対的価値」は、読者の精神のその書物からの栄養吸収度といってもよいであろう。この価値あるいは吸収度の内容を大きく方向づけるものが、そのときの読者の精神構造であるということは、たとえば、ジャン・クリストフが活字の陰から起き上がってわれわれの心の内へ浸透してくるときに、その性格の一部が、われわれ自身の精神の網目でふるいにかけられて、われわれ独特のジャンがそこに作られるということである。そして、それは読者各人各様のふるい作業なのだが、その際に、普遍性を帯びてふるい出されてくるジャンの性格の成分というものもあり、われわれのふるいがその成分に対して最も鋭敏な透過性を有するとき、その合致性のゆえに、最も大きな感銘を受けるであろう。「ジャン・クリストフ」がぼくに与えた感銘は、一にも二にも、その主人公の精神の強烈さであった。このことから得た上記の思索をもって、この書の読後感の記述を一応打ち切ることにする。
     「吾輩は猫である」。読みながら吹き出さずにいられないユーモアから構成された、人間と社会に対する鋭い風刺。苦沙弥先生の家へ集まる月並みでない連中に共通した超俗性には、愛すべきところがある。寒月君は理科系の人物だけに、とくにぼくの興味を引いた。

     3月7日(月)曇時々雪(金沢)

     君への手紙:
     くすんだ灰色の空から際限なく踊り現れる灰色の落下物は、隣家の板壁という背景を得て白い綿となり、音もなく地面に吸いついて、チリも積もれば山となるの根気をもって、柔らかなじゅうたんを敷き延べようとしている。——この一文を思案しているうちに、淡灰色の雲の大部分は消散してしまい、落下する雪片もずっと小さくなり、うっすらとした日影さえも、屋根の上の自然の敷物に忍び寄って来た。軒から流れ落ちて土を打つ水滴の周期的節奏と、はっきりとは聞き取れないくらいの大きさでどこからか聞こえてくるスズメの声とが合い和して、空気になごみのひだを作っている。——雪の降下はいつの間にか絶えた。到達の遅い北陸路の春も、もうすぐそこまで来ているかと思われる。
     早速のご返金ありがとう。帰省後、休養や友人訪問を主な仕事として二日間を過ごした。きょうの午後も呑気さの点で典型的な「迷亭」型の Jack の家へ Sam とともに押しかけて、苦沙弥先生の家における愉快な集まりのひな形を作りだす予定だし、明日の午後はアメリカ文化センターで行われる今年度の高峰賞授賞式に列席しなければならない。また、各大学の合格者発表の頃には母校菫台高校や、一年の辛酸の後の喜びを味わうことになるだろう友人の家を訪れて、喜びをともにしなければならないだろうし、今月末には祖父の四十九日の法事がある(祖父の死はちようど試験の直前だったので、家ではぼくに知らせることをしなかったのだ。ジャン・クリストフが初めて死の概念の不気味さを痛切に感じたのは、彼の祖父の死に直面したときだったと思うが、ぼくの場合、それが与えた思索上の影響という見地からジャンの祖父の死に相当するものは、父の死であった。しかし、今度の出来事も、生前の祖父のぼくに対するいろいろな影響を想起させ感じさせるところが多い。)など、ひじょうに忙しい。が、その間を適当にぬって、頭の内部の活動も十分に行いたいと思っている。
     精神的拘束の最も少ない休暇だけに、計画も立てごたえがあり、忙しいながら、その忙しさの量がそのまま楽しさの量にもなるわけだ。脳力(「吾輩は猫である」によく使われていた言葉だ)の理科的な訓練としては、「解析概論」や「現代物理学」の力学編などを、リクリエーション的に学び、京都の下宿でも話していた通り、午後の時間は読書に当てるつもりだ。それから、「女神」問題の計画は…。
     君との接触面がさらに大きくなる新学年からの生活を楽しみにしている。
     お家の皆様によろしく。
     (注:京大2回生は京大本部の向かいにある吉田分校で学ぶため、1回生の1年間を過ごした宇治から、京都市内へ下宿を変わらなければならず、春休みの初めに何日か、Abe と一緒に歩き回って下宿探しをした。しかし、なかなか見つからず、ようやく見つけた一軒の8畳間に彼と同宿することになった。)

    ×     ×

     「ドルメザン男爵」とは?

    (2000年8月20日掲載)
    ページトップへ
    大学生時代(3)へ


    IDEA ホーム

    inserted by FC2 system