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文化をそだてる (1)
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多幡達夫

Copyright 1999-2000 by Tatsuo Tabata
 
 
目 次

文化をそだてる(1)
 
文化をそだてる(2)


はじめに

 このページでは、「堺の文化をそだてる市民の会」の機関紙「堺文化会ニュース」に書いてきた文を再録している。掲載にあたって、いくらか修正している場合もある。

(1999年12月30日)


文化としての科学

 17世紀フランスの科学者・哲学者パスカルは、「瞑想録(パンセ)」の中で、幾何学の心と繊細の心について述べた。今世紀イギリスの小説家 C. P. スノーは「二つの文化と科学革命」の中で、伝統的な文化と科学的な文化について論じた。

 幾何学の心は科学的文化の創造に、繊細の心は伝統的文化の創造に、それぞれ寄与するものであろう。

 文化を、技術や文明を含む広い意味にとれば、科学的文化の存在は自明である。文化の意味を精神的な生活にかかわるものに限定しても、科学的文化はあるだろうか。

 たとえば R. ゲロッチの一般相対論の啓蒙書に次のような意味の記述がある。

 人間は自分たちの生きている物理的世界の性質について、深く理解したいとの知的欲求を持っており、この、理解それ自体を目的とした探究は、人類の一つの重要な活動である。アインシュタインの一般相対論は、将来においても、技術的に役立つことはほとんどないと考えられるが、その研究は、いま述べた知的欲求に基づく活動に属する。

 このような活動は、狭義の文化にも当てはまり、このことから、一般相対論は偉大な科学的文化遺産であるといえる。アインシュタインの研究にとどまらず、高エネルギー物理学や宇宙物理学の研究全般、また、もっと身近な諸科学の基礎的研究も、文化的活動と考えるべきであろう。

 読書の秋、これら科学的文化の啓蒙書に親しんではいかが。

No. 49「灯台」欄(1984年9月)

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文明の落とし穴

 学生時代に愛読したロマン・ロランの作品のひとつ、「ジャン・クリストフ」の中に、まったく気にならないという意味で、「雨が降りかかったほどにも思わない」と書いてあるところがあった。

 ちょうど、水爆実験の影響が日本の空を襲った頃に読んだので、雨の降りかかるのが、時には、かなり気がかりなこともあるものだと、作者が思いもかけなかったような感想を抱いた。先日のチェルノブイリ原子力発電所の事故で、このことを久しぶりに思い出した。

 この事故とスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発を思い合わせ、大阪市大の中岡先生は、社会全体が爆発物の上にのっているような姿が、われわれの技術文明のありようではないかと指摘する(朝日新聞1986年5月6日付け夕刊)。そして、このような文明の構造を変える方向への努力をはじめた方がよいのではないかと呼びかけている。

 文明の巨大化、極度の専門化は、意外なところに落し穴を秘めている。そこに落ち込むと、多数の人命が一瞬のうちに吹き飛ぶなど、恐ろしいことが起こる。

 これを防ぐため、文明の方向転換をする、その原動力となり得るのは、文明と並んで人間活動の特質である文化を、愛しそだてる心であろう。しかし、人びとの思想をいつか来た道へ操って行こうとする、えせ文化という落し穴には注意が必要だ。

 雨の降りかかるのが気にならない世でありたい。

No. 59「灯台」欄(1986年5月)

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アインシュタインの卓見

  相対性理論で有名なアインシュタインは、1936年、アメリカにおける高等教育300年記念の機会に、教育についての意見を求められ、「教育の分野では個人的な経験しかない、なかばしろうとですが」と断りながらも、いくつかの卓見を述べている(A. アインシュタイン、"Ideas and Opinions")。その中から、ふたつ拾って見た。

 まず、「私が最も悪いと思うことは、学校教育が主に、おそれや力、そして人工的な権威に影響されてなされるということです」との発言があり、また、「先生方は教材と教育方法の選択において、広範な自由を与えられるべきです」との主張もある。

 これとくらべて、さる1987年8月7日、臨時教育審議会が中曽根首相に提出した最終答申の述べているところはどうだろうか。

 「国旗・国歌の持つ意味を理解し尊重する心情と態度を養うことが重要であり、学校教育上適正な取扱いがなされるべきである」とし、「教職員団体」は、「教育内容や学校運営に対する不当な介入を厳に慎むべき」だとしている。

 かつての侵略戦争を支えた軍国主義の人工的権威「君が代」を「日の丸」とともに教育の場におしつけ、先生方の自主的な努力も抑圧しようとする「教育改革」の動き。私たちはこれに対し、時間・空間をこえてアインシュタインの言に学び、反対して行かねばならないのでは。

No. 67「灯台」欄(1987年10月)

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歴史の把握

 エド・レギス著「誰がアインシュタインの部屋を受継いだか」(アジスン・ウェズリー社、1987年)という本を読んだ。アメリカのプリンストン高級研究所の誕生からの歴史と、そこで研究した著名な学者たちの仕事が分かりやすく解説されている。

 原爆の研究を指導したオッペンハイマーは、1946年から約15年間、この研究所の所長を勤めた。ここに引用したいのは、彼について述べた章の中の、次のような表現である。

 「彼ら(原爆を研究した科学者たち)の使命は、超自然的な狂人たち、ヒットラー、ムッソリーニ、そしてヒロヒトから西洋文明を守ることであった。」

 結果的に、原爆は広島・長崎の多数の非戦闘市民の生命を奪い、さらに、全人類の存続をおびやかす大量の核兵器が保有される事態を招いた。これが科学史上の一大汚点であることは、わが国の大多数の人びとが認めるところであろう。

 他方、原爆研究の契機を与えた狂気に対する、この国での反省はどうか。これを風化させようとする政治的動きがあまりにも多い昨今である。

 私たち一人ひとりの人間は、小さい頃から経験と学習を積んで一人前の人間となり、さらに、より完成された人間を目指して修業に励む。ひとつの国が、国際的に高く評価される国に育つためには、国の経験である歴史の教えるところを、国民が正しく把握することが肝要だ。

No. 73「灯台」欄(1988年11月)

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文明の明暗

 最近の明るいニュースのひとつは、天空から届いた。電波のかすかなささやきが、地上の四つの大陸にある38個の巨大なアンテナの助けを借りて捕らえられた。それは光や電波が地球まで届くのに4時間6分かかるところにある海王星に最接近した無人惑星探査機、ボイジャー2号からの写真と観測データである。

 12年前に地球を飛び立ったこの宇宙の「旅人」は3年前までに木星、土星、天王星を訪れ、現在、太陽系の最も外側に位置している惑星、海王星の訪問を先月成し遂げた。

 送られてきたデータは、惑星物理学上の重要な新しい発見と、さらに研究の必要な多くの新しい謎を含んでいる。惑星空間71億キロの旅を成功させた技術は人類の到達点として誇らしく、学問的収穫は人類の文化的蓄積を大きくふやすものとして喜ばしい。

 ひるがえって目を地上に移すと、地球的な規模での暗い話題が多い。熱帯雨林の減少、深刻化する酸性雨の影響、フロンによるオゾン層の破壊、等々。

 これらの背景には、人間の便利さ、すなわち文明の、性急で無思慮な追求があるようだ。しかし、さらにその背後には、一部の人びとのあくことのない利潤の追求があることを見逃してはならない。

 文明が文化的環境をこわす方向にではなく、それをそだてる方向と速さで発展させられるよう、私たちは見守って行かねばならない。

No. 78「灯台」欄(1989年9月)

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「経済大国」の下水道

 最近テレビのあるクイズ番組で、古代ギリシア(紀元前数世紀)の都市遺跡に立派な下水道跡のあることが紹介されていた。その都市で市民の何割が下水道の便宜を受けていたかは分からない。しかし、「経済大国」日本の堺市において、21世紀も近い現在、筆者の住む町でまだ水洗化ができないのは情けない。

 3月1日付けの「広報堺」によれば、90年度の下水道整備の市の予算は約71億円(予算総額の2.1%)で、年度末には下水道普及率がやっと52.3%になるとのこと。100%になるのは、まだまだ遠い先らしい。

 国際化の時代にあって、筆者のところへも仕事上の外国の知人が年に一度ぐらい来るようになった。これらの訪問者には、円高の関係でとくに高価につくホテルに泊まって貰うのは気の毒だが、トイレが非水洗式の自宅に招くのも気がひける。

 それはともかくとして、人間が生活する上で最も大切なことのひとつである生理的廃棄物の処理方法の改善をなおざりにしていたのでは、文化的な都市の建設はおぼつかない。

 ここまで書いてきた折しも、朝日新聞夕刊(3月3日付け)をみると、「窓」欄の「新・かわや考」という文が目に入った。温水暖房便座についての雑感を記したものだが、日本の「下水道の普及率が欧米の半分」という関連情報も載っているので引用しておく。

No. 81「灯台」欄(1990年3月)

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「寄付の文化」の欠如

 日本の企業経営者が西洋の名画を超高値で買い取り、外国の美術愛好家のひんしゅくをかうという出来事が続いた。これに追い打ちをかけるように、わが国の企業経営者の文化に対する理解の乏しさを示すニュースが、またひとつ紹介された。

 ハーバード大で日本文学の研究と教育をしている岩崎はる子さんが日本を訪れ、企業の役員ら70人に研究室への寄付を頼んでまわったが、具体的な返事が得られず、「文化ギャップ」を痛感して帰米したとのことだ(朝日新聞1990年7月4日付け夕刊「窓」欄)。

 「文化の底流を育てる、目に見えないものに援助する『寄付の文化』は、日本にはまだ育っていないようだ」と「窓」子も残念がる。

 「経済大国」の企業経営者たちが、国際的に恥ずかしい低文化度を改めないではいられない状況を作り出して行くことも、私たち文化を育てることに関心ある者の重要な役目であろう。

 私事ながら、岩崎さんは筆者の小学校同級生で、十数年前すでに、プリンストン大の日本語教授だった。夏休みで帰国中の彼女に大阪で会った筆者が「何を研究していますか」と質問したのに感じるところあってか、翌年、教授職を投げ捨て、ハーバード大の大学院生になったと聞いた。

 今回帰米に当たっての「計画を練り直して、また来ます」との言葉も、小学生の頃から負けず嫌いだった彼女の性格をよく表している。

No. 83「灯台」欄(1990年7月)

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ヒツジ年

 昨1990年はイラクのクウェート侵攻、それに伴う国会での「国連平和協力法案」と称する戦争協力法案の論議、きわめて復古調の即位の礼と大嘗祭の実施など、世界の平和と日本国憲法をおびやかす事態が続いた。温和さを象徴するヒツジのえとに当たる今年は、どのような1年になるだろうか。

 朝日新聞夕刊の文化欄に「夕陽妄語」と題して評論を執筆している加藤周一氏には、自分の半生を記した「羊の歌」、「続羊の歌」(岩波新書)という著書がある。ヒツジ年生まれであることと、性質に似通うところがなくもないことから選んだ書名だそうだ。

 氏の評論には、穏やかな調子の中に快刀乱麻を断つ趣きがある。氏は始め医者だったが、社会情勢の変化と将来の成り行きを、多くの情報と事実から判断し検証したいと思い、医業を捨てることになったという。

 また、氏は自分の考え方の基本的な方向が、敗戦後の東京の電車の中で、人びとを観察しているうちにでき上がったと述べている。それは「どんな人間も悪魔ではないのだから、死刑に反対し、どんな人間をも悪魔にする戦争に反対する」という方向だという。

 続けてきた仕事を捨てないまでも、つねに透徹した考え方ができる素養と時間を私たちも持ちたい。そして、文化を豊かにはぐくめる平和な世を確立するため、ささやかな力を出し合って行きたい。

No. 86「灯台」欄(1991年1月)

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大学研究機能の低下

 さる1991年10月23日、日本学術会議は「文化としての学術特別委員会」の設置を決めた。学術が文化の一端を担うものであり、研究分野によっては実用的・経済的効果が、少なくとも近い将来には見込めないという意味で、文化的活動以外の何物でもない場合も多いことは周知の事実であろう。

 それにもかかわらず、学術会議でこのような名前の委員会を作る必要があるということは、いかにわが国の政府の科学・技術に対する政策が、経済的効果ばかりを見据えた、ゆがんだ道を歩んで来たかを示している。

 その少し前、10月2日には、阪大基礎工学部でシランガスが爆発し、学生ら5人が死傷する事故が生じた。この事件の背景には、大学に対する人員配置・予算配分の不足のあることが指摘されている。国立大学協会の全国調査でも、大学が民間の施設より劣るとの回答が8割を占めている。

 このように、大学の研究機能の低下には著しいものがある。これはまさに大学だけの問題ではなく、わが国の将来にかかわる重大事である。

 この状況は軍事費拡大を別枠としながら、大学政策を臨調「行革」路線に沿って進めてきた、この10年間の政府の姿勢がもたらした結果に他ならない。私たちは、文化をそだてて行く上でも、どのような政治を選ぶかの影響が、きわめて大きいことを考えなければならない。

No. 91「灯台」欄(1991年11月)

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市民レベルの交流

 モンゴルの北西に接してトゥヴァという国がある。切手収集家の間では、遊牧民の暮らしやいろいろな動物を描いた三角形や菱形の切手によって知られている。のどを利用して二つの音を同時に出すホーメイという歌唱法も、名物の一つである。

 ノーベル賞物理学者のファインマンが晩年、ソ連の官僚主義をかいくぐり、一個人としてこの国を訪れようとした話が、「ファインマンさん最後の冒険」(レイトン著、大貫訳、岩波書店)という本につづられている。彼は計画の実現寸前、ガンで死んだ。

 この本ではチューバとなっているが、トゥヴァと書く方が現地の発音に近いそうだ。同書にちなんで、トゥヴァやファインマンについて語り合うサークル「トゥヴァ友の会」が大阪に誕生した。

 筆者は権威を意に介しないファインマンの生き方に興味をもっていた関係で、この会に入ったが、すでに何度もトゥヴァを訪れた若い会員の一人から、ホーメイの実演も交えながら異文化体験を聞けるのも楽しい。

 首都キジルにレイトンらがファインマンの記念碑を立てたが、酔っ払いによって壊されてしまったとのことだ。天国のファインマンは、かえって喜んでいるかもしれない。

 堺市は中国の連雲港市、ニュージーランドのウェリントン市などと友好関係を結んでいる。互いの文化を尊重し合った市民レベルの交流こそが重要であろう。

No. 110「灯台」欄(1994年1月)

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独創性の基礎

 堺市内に「放射線研究所前」というバス停がある。当の研究所の名称は、5年前に変わり、この4月にまた変わった。いまの名は大阪府立大学先端科学研究所である。放射線研究所時代からの教職員の中には、バス会社がいつまでも歴史的な名前を残してくれることを望む向きも少なくないとか。1

 先日、この研究所の開所式に前東大総長の有馬朗人氏が記念講演をした。氏は具体的なデータを示しながら、わが国の高等教育費と科学・技術研究費に対する国と自治体の支出は、いまの2倍にする必要があると力説した。

 文化を守り育てるための予算についても、文化の先進諸国との比較を行えば、同じ程度に、いや、それ以上にふやす必要のあることが指摘されよう。

 有馬氏の主張する教育・研究費の倍増にしても、設備だけに投資すればよいというものではなかろう。わが国の研究機関では、欧米とくらべて、研究を支援する人たちの数がきわめて少ない。そのため、研究者たちは幅広い文化にふれて思考を豊かにする余裕もなく、仕事に追われる。わが国の科学・技術において独創的な成果があがりにくい原因は、こういうところにあるのではなかろうか。

 関連して、「オール与党」批判で生まれた新しい大阪府知事2が、教育、文化、福祉、安全な町づくりなどの府民の要望にどう応えていくか、見守らなければならないと思う。

後日注記:
  1. その後、バス停の名は「府大研究所前」と変更された。
  2. 横山ノックこと、山田勇。第2期1年目の1999年12月、セクハラ起訴を受け、辞任。

No. 112「灯台」欄(1995年5月)

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