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tttabata による書評(和書)

Copyright © 2003 by Tatsuo Tabata
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このページの目次

著者名(次いで書名)のアイウエオ順

5 of 5 stars アラン 「幸福論」岩波文庫

活動の苦痛こそ幸福であると

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 私はこの本を大学生時代に友人が持っていた文庫本で拾い読みしただけで、日記に次のような感想を記している。それだけ、本書は分かりやすく、また魅力的だったのである。
 『著者の幸福観を一言でいえば、「幸福の度合いは生活に対する意志の支配度に比例する」ということになろうか。活動のない平静状態より、活動のための苦痛の方がずっと幸福だ、という意味のことが書かれていたが、この言葉には、「ジャン・クリストフ」中の「死んだ真理よりも、真理を求めて懸命にうごめく誤謬の方がはるかによい」という言葉と共通する精神がある。その精神とは、生の本質を希求し、それを尊ぶ心であろう。』
 友人が持っていたのは岩波版ではなかったようだが、いま、この本が岩波文庫に入っているのは嬉しい。上記の感想が、若い方々をこの本にひきつけるならば幸いである。

(2003年10月21日)


3 of 5 stars 養老孟司 「バカの壁」新潮新書

一元論の危険を指摘

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 著者の専門である脳生理学を通して、「話せばわかる」ではなく「話してもわからない」状況を分析し、一元論に陥ることの危険性を指摘する。日常の暮しから、教育、社会、政治、国際関係にいたる幅広い領域での現状の批判と、それらのあるべき姿の示唆に富んだ本ではある。しかし、これは独白を文章化して貰う方法で作成された本であり、そのせいで、読みやすい反面、不用意な発言や、注意深い読者をとまどわせる脈絡がところどころに見受けられる。たとえば、著者は「情報は日々刻々変化する」という言葉を「一度発生した特定の情報が時間とともに変化する」という意味にとらえ、これを否定することにより話を進めている。だが、このとらえ方は、いたって不自然であり、著者は本書の一部において、根拠薄弱な前提の上に立って語っていることになる。この言葉は「現代においては、大量の新しい情報が次々に発生し、それらが少し古い情報と比べて、急速に異質なものになりつつある」というようなことを簡略化して、警句的に述べたものであろう。本作りは読者のことを考えて、もっとていねいにやって貰いたい。

(2003年10月6日)


5 of 5 stars 安野光雅 「絵のある人生―見る楽しみ、描く喜び―」岩波新書

絵とのつき合い方を優しく語る

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 絵の見方、絵の歴史、絵の描き方などについて、著者の幼年時代以来の絵との交わりの体験をふまえながら、読者に優しく語りかけるように書かれている。第1章「絵を見る」の中に、「絵を見るときは、先入観をなくし、自分の目で見、自分の頭で考えながら見ることが大切」とある。文字通りに受け止めれば、「それでは、この本は、読まない方がよさそうだ。ブリューゲル、ゴッホ、アンリ・ルソー、その他多くの画家たちのことが述べられていて、彼らの作品についての先入観を与えるから。」と、皮肉っぽく切り返すことができそうだ。そうは思っても、本書はたいへん面白く書かれているので、読み始めたら、やめられない。せいぜい楽しんで、少なくとも、それらの画家の絵を見るときには、この本で知ったことを忘れたらよいであろう。『「作者はこう考えているのだ」ときめつけるのは、いけないと思います。これは絵だけではなく一般にいえることです。』というくだりもある。著者の人柄がにじみでている言葉である。第5章「絵が分からない」は、絵を見ることの好きな人に、第6章「絵を始める人のために」は、定年退職して絵を描いてみたいと思っているような人に、第7章「絵のある人生」は、絵を一生の仕事にしたいと考えている若い人に、それぞれ役立つであろう。幅広い人びとに一読を勧めたい本である。

(2003年9月29日)


5 of 5 stars 森 鴎外 「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫

雅びやかな文語文のロマンチック作品

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 表題にある2篇の他、「文づかひ」、「そめちがへ」、ドイツの作家の作品を訳した「ふた夜」の3篇が収められている。鴎外は22歳のとき(1884年)から4年間、軍医としてドイツ留学をした。「舞姫」、「うたかたの記」、「文づかひ」の3篇は、帰国後まもなく発表された、いわゆる「ドイツ土産三部作」であり、残りの2篇も含めて、どの作品にも、悲しみを伴ったロマンチックな物語が、雅びやかな文語でつづられている。「舞姫」は映画化もされたので、その筋を覚えている読者も少なくないであろう。某省からドイツに調査留学していた「余」太田豊太郎は、貧しい家庭の娘で踊り子をしているエリス(「舞姫」という美化された表題は、このヒロインを指す)と恋に落ちるが…。巻末の解説によれば、発表当時、この作品の結末は主人公、ひいては作者自身の評判を悪くしたそうである。しかし、豊太郎は、人間の心の弱さを鋭く描くために作りだされた人物とみるべきであろう。これにくらべれば、他の作品は、読後の時間経過とともに筋を忘れてしまいそうになるほど、あっさりしている。しかし、読中はどの作品も、作者の文体が自分に乗り移るかと思われるほど、読者の心にしみじみと食い込んでくるものがある。難しい漢字には、現代仮名づかいで振り仮名がつけられているので、若い読者にも読みやすいであろう。

(2003年7月31日)


5 of 5 stars 丸谷才一 「輝く日の宮」講談社

源氏物語と王朝風の恋にいざなう書

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 大学教授杉玄太郎の娘として育った安佐子は、中学生時代にすでに泉鏡花を愛読し、短編小説を書いた。それが、本書の第0章をなす。第1章では、玄太郎の誕生日を祝う家族の集いが描かれ、現在、安佐子は女子大の専任講師として日本の19世紀文学を研究していることが紹介される。第2章では、著者は「奥の細道」に関連して、日本の文学研究の学風を批判したあと、安佐子が元禄文学学会で行った講演の原稿を掲載する形式で小説を進める。第3章は、aからpまでに区分けされており、時は1987年から1996年まで。国内外の出来事の年表的記述を交え、安佐子の助教授昇進や、会社の調査部長をしている長良豊との出会いが語られる。第4章では、安佐子がパネリストとして出席した「日本の幽霊シンポジウム」が、ドラマの脚本の形で描写され、安佐子と「源氏物語」の関係が浮かび上がる。このように、著者は各章にそれぞれ異なった表現手法を用い、読者の知的興味をあおって止まない。男性読者は、チャーミングな学者である安佐子に惹かれ、長い小説は「宮本武蔵」しか読んだことがないという長良と彼女がなぜ恋仲になったのか不思議に思い、彼に軽い嫉妬さえ覚えるかも知れない。しかし、第5章で…。いや、これ以上筋を述べることは控えなければならない。第7章で再度、小説中の小説という手法がとられ、結びとなる。読者はこの最終章にいたって、本書の題名がこれ以外ではありえないと思うであろう。書中には、「源氏物語」が巧みに紹介されており、多くの読者は自ら「源氏物語」を読んでみたいという気に、また、そこに記されている王朝風の恋を体験してみたいという気にさえ、させられるであろう。

(2003年7月24日)


5 of 5 stars 奥津国道 「水彩画プロの裏ワザ」講談社

入門から熟練段階まで役立つ

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 フランスの町ベルべスの丘を描いたカバーの絵に魅せられて購入した。その絵には爽快感があり、それは私が描けるようになりたいと思う種類のものだったのである。ところが、書中の淡彩風景画手本の大多数は、カバーの絵よりももっと、写真に近いような精緻さを持っており、いささか私の目指す絵のスタイルとは異なっていた。水彩画といっても、いろいろなタイプがあり、自分の好みにあったスタイルの絵を描く人の手になる本で勉強するのが最もよいように思われる。しかし、本書の著者の絵の明るさや優しさは、目を快く惹きつけて止まない。また、画材の話から、鉛筆デッサンや彩色のテクニックも紹介されていて、入門者に大いに役立つようになっている。そして、どのような画風に進むにしても、正確な描写ができるということが基本であることを考えれば、私や多くの人たちにとっても、熟練段階にいたるまで役立つ本といってよいのではないかと、思い直した。まえがきに「プロの絵描きは自分が編み出した技法を教えたがらない人が多いが、私は出し惜しみせずに公開した。」とあるのが嬉しい。

(2003年7月3日)


4 of 5 stars 三島由紀夫 「禁色」新潮文庫

三島を知るための必読書

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 本書は1953年、作者27歳のときの作(第2部の完結は翌年)で、これより3年前の作品「仮面の告白」の主人公「私」の延長のような人物、同性をしか真には愛しえない美青年の悠一、が登場する。高齢の作家俊輔は、悠一を利用して、裏切られた女性たちへの復讐を試みる。この二人には、どちらも作者自身の分身のような面がある。悠一のいう「多数派」に属する読者にとっては、必ずしも快くない世界が如実に描写されている。しかし、読者は不思議にも、この本を読み始めたら、ミステリー小説ででもあるかのように、手放すことができない。そこが三島の構想力と表現力のしたたかさであろうか。地の文や登場人物の思考の記述にしばしば見られる理屈っぽささえも、快い音楽のように読者を酔わせてしまう。理屈を十分に理解し得なくても、その理知的な文体とリズムにのせられ、引きずられて行くのである。性愛の多様性が現在のように社会的に認められ始めていなかった時代に、作者は社会への挑戦をすると同時に、後半において悠一の社会復帰を描くことにより、自分自身の建て直しを計ったのであろう。三島をよく知りたい読者には必読の一冊である。

(2003年6月17日)


4 of 5 stars 竹西寛子 「哀愁の音色」青土社

日本の伝統をふまえた名随筆集

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 1997年から2000年にかけて雑誌に連載された29編の随筆を収める。1929年生れで、多くの文学賞や日本芸術院賞も受賞している著者は、いみじくも「言語生活の弱体化は、思考や感受性の訓練の弱体化」につながると考えており、随筆中には常用漢字以外の漢字もよく使っている。したがって、本書は若い読者には取っ付きが悪いかも知れないが、味わうにつれ、よさに気づき惹かれていくであろう。文体は加藤周一のそれにも似て、高度に知的な雰囲気を醸し出している。植物の四季の風情や知人の不幸の描写、そして、頻出する「…であるけれど」という表現には女性らしさが覗く。一つの章の中に主題から外れた別の話題が出て来ることが多く、西洋風あるいは現代風の随筆に慣れた読者は、初めのうち戸惑わされもするが、慣れれば、それも日本の伝統的随筆の好ましいあり方と思われて来る。文学上の卓見は著者の経歴から当然としても、政治、社会、教育などについても傾聴すべき鋭い論評があり、感服させられる。五つ星にしなかったのは、「夕闇の花」の章にある著者の主張が自ら守りきれていない箇所を見出したことによる(明瞭に書くことを故意に避け、他の読者が同じことを自分で発見するための課題としておく)。

(2003年4月25日)


4 of 5 stars 三島由紀夫 「仮面の告白」新潮文庫

華麗な漆絵のように描かれた性の悩み

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 主人公「私」の出生から23歳にいたるまでが、性に関する告白の形で述べられている。幼年期の「私」の経験には、少なくない男性が多少なりとも共通した記憶を呼び覚まされるであろう。その時期には、性的感覚が未分化であり、性の目覚めへの前駆現象として、肉体的苦痛にかかわる話や絵に官能的興味をそそられたり、強い少年への憧れを抱いたりすることはありがちである。しかし、「私」は青年期にいたるまで、そうした幼年期の嗜好から抜け出せないで悩み続ける。この種の性倒錯は、作中にも述べられている通り、とくに珍しいものではないそうだが、多くの読者には初めのうち、いささか異常な物語と映るかも知れない。作者はそのような「私」の境地へ、華麗な漆絵を思わせる描写によって、読者をぐんぐん引き込んでいく。時代背景として、第二次世界大戦中の徴兵や空襲なども効果的に描かれている。後半、異性の園子に興味を持ち始めても、「私」の内部では、なお葛藤が続く。ところが、その話の後の方ではメロドラマ風の軽さを感じる。前半の筆致があまりにも激烈なせいだろうか。作者24歳のときの、最初の書下ろし長編である。巻末の解説にいう「自伝的小説と受けとる方がいい」に賛成する。

(2003年4月9日)


4 of 5 stars 井口道生 「英語で科学を語る」丸善

楽しく学べる入門書

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 「科学の口語発表はやさしい」という警句から出発して、英語による国際会議での発表から、大学などでの講義、会議の座長、研究機関の管理・運営、座談にいたるまでのかんどころが、随想風に書かれている。著者は約25年間アメリカで物理学の研究にたずさわりながら、書くことと話すことについて幅広い関心を持ち続けた人である。したがって、その説くところは、著者自身が最初の章で述べている通り、表現の技術一般にも関係しており、科学者以外の人びとにも参考になるところが多いと思われる。読者が本書に刺激され、巻末の引用文献を利用して、さらに表現力を磨こうと思うならば、本書の役割は十分達成されたというべきであろう。最終章に、著者が接した講演の名人の紹介がある。日本人用の手本としては不適当と著者が考えるファインマンの講演以外、それらの名人の講演の録音などを聞くことがほとんど不可能なのは残念である。しかし、この最終章は、著名な学者の講演があれば、専門が異なっていても聞いてみようという気持を読者に抱かせるであろう。

(2003年3月21日)


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