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tttabata による書評(和書)

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このページの目次

著者名(次いで書名)のアイウエオ順

5 of 5 stars 飯沼和正、菅野富夫 「高峰譲吉の生涯:アドレナリン発見の真実」朝日選書

今学びたい明治人の気概

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 高峰譲吉は1854年(嘉永7)富山県高岡の蘭方医の家に生まれ、金沢で育った。1879年、工部大学校(現東京大学工学部)を卒業(第一期生)し、翌年から英国留学。帰国後、農商務省に勤務。米国ニューオーリンズ万博に出張の際、現地でキャロラインと婚約。自ら創設した人造肥料会社を30歳台半ばで捨てて、米国に流出。今でいうベンチャービジネスを興し、イリノイ州の田舎町で胃腸薬「タカジアスターゼ」を開発。その後、ニューヨークに移住し、小さな実験室で若い助手、上中啓三の協力を得て、「アドレナリン」の抽出に成功。これは世界で最初に見出されたホルモン物質である。

 これらの業績で巨万の富を築き、晩年には私財を投じて日米の民間外交に尽くし、1922年、67年の生涯を閉じた。――このような、たくましい明治の国際人の華麗な一生を、フルブライト同期留学生同士の著者たち、飯沼和正(科学ジャーナリスト)と菅野富男(生理学者)が協力して、丹念に描き出した。この伝記は、高峰を賞賛するだけでなく、その欠点をも客観的に記し、教訓としているところがよい。アドレナリンの特許権が切れた頃から、米国と日本ではアドレナリンが「エピネフリン」と呼ばれてきた。その陰にあった米国薬学者による「高峰の盗作」説が、この本の著者たちの提案で正されようとしている。「アドレナリン」の名称の復権の近いことを祈る。

(2001年1月21日)


5 of 5 stars 加藤周一 「夕陽妄語VI」朝日新聞社

国政右傾化の道筋をつまびらかに

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 本書は朝日新聞夕刊に月1回掲載されている随筆の、1997年からの4年分をまとめたものである。評者は紙上でもほとんど欠かさずに読んでいるが、単行本になった折に必ず購入し、再読する。そのことは、国内外の政治や、文化・世相の近年の流れについて復習するよい機会を与えてくれるとともに、それらの流れの記録を保存することにも役立つ。

 著者は「あとがき」で「二〇世紀の最後の四年間に日本の政治は『右寄り』の方向へ進んだ。その先にはおそらく東北アジアでの日本の孤立があるだろう。…(略)…方向転換の必要は今こそ大きいだろう…(略)…。」と警告している。わが国の政治のこのような傾向は、たとえば、「むだ遣い体制」、「冷戦後の選択」などの文において、つまびらかにされている。98年12月の「濃い霧の中から」という文には、2001年に著しく表面化した歴史教科書問題に関連する「負の面を直視し、その責任をとろうとするのは、『自虐』ではない。」との明快な記述もある。

 著者の筆は、政治のみにとどまることなく、文学、絵画、映画、演劇などにもおよび、読者を退屈させない。一人でも多くの人に触れて貰いたい本である。些細な欠点を強いて挙げれば、「今立ち入って論ずることはできない」というたぐいの挿入文が散見されることである。関連事項の奥行きと著者の関心の広さを示唆する文ではあるが、それが随筆自体において占める役割は乏しく、目障りである。

(2001年6月1日)


4 of 5 stars 加藤周一 「読書術」岩波現代文庫

豊かな経験から出た読む方策のいろいろ

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 本書の初刊は1962年。ベストセラーとなり、1993年の岩波同時代ライブラリー版を経て、2000年に岩波現代文庫版が誕生した。初刊から40年近くが経過している。同時代ライブラリー版への「あとがき」で著者は、「そもそも『読書術』なるものが、30年やそこらで簡単に変るはずもない」と述べている。しかし、本書は読書術を論じているだけでなく、出版文化の優れた批評にもなっており、それがいまなお新鮮に感じられるのは、著者の分析力の透徹性を示すものであろう。

 高校生向けに書かれたものとのことであるが、医師から文芸評論家・作家となった著者の豊かな経験に基づく読書のための方策論は、自然科学者や人文科学者をも含む幅広い層の社会人にとっても、得るところのきわめて多い内容になっている。前半の文章に、やや英文の直訳にも似た口調を帯びたところが多いにもかかわらず、軽妙な調子は保たれており、ある種のユーモアを感じながら楽しく読める。「必要な本はむずかしくない」と言い切っているが、いささかのむずかしさを乗り越えながら読む必要というものもなくはないのではないかと、少し気になる。

(2001年3月17日)


5 of 5 stars 加藤周一 「私にとっての20世紀」岩波書店

新世紀への鋭い指針

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 著者は幼少期に熱のあったときに、巨大な車輪に圧しつぶされそうになる夢をよく見たということを、回想記「羊の歌」(岩波新書)の中に書いている。評者も子どもの頃、同様な夢を見たので、この著者にはとくに親近感を抱いていたが、本書の冒頭にも、この夢の話が、未知のものに対する予感という意味付けで出てくる。著者は、未知を既知に変えるためには、自分で実物に触れることが重要だと考え、その姿勢を自らの思想形成と著作において貫いてきた人であり、歴史、政治、文化等についての批評は、つねに鋭いものがある。

 本書では、著者が見て考えた20世紀のできごとを分析的に述べ、新しい世紀への指針を与えている。著者は、いまの日本には、個人の自由や良心の自由という考え方が定着しておらず、少数者の意見を尊重するということがないと指摘する。憲法問題については、世界の将来の大勢が軍備放棄に動く可能性があり、第9条はそれを先取りしているのだから、これを変えないほうがいいと論じている。国際関係では、アジアが北米やヨーロッパと対等に話し合いができるようになるには、日本と中国の関係の調整が必要であり、また、ナショナリズムと国際的協力関係の融和が21世紀の課題であると説く。これらは、いずれも、日本の政治家たちによく理解して貰いたいことがらである。

 日本では形而上学、宇宙の秩序(世界観)に関心が薄かったとの記述があるが、なぜそうなったかについての論考も知りたいところである。本書はNHKテレビの対談番組を単行本化したもので、対話体の文で書かれている。書物は大多数の読者にとって耳から聞くものではなく、目で読んで理解するものであるから、欲をいえば、もっと対談の調子を整理し、読むのに最適な形にして欲しかった。

(2001年3月13日)


5 of 5 stars 上岡義雄 「神になる科学者たち:21世紀科学文明の危機」日本経済新聞社

科学の「目的と価値」の転換を説く

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 欧米には、古代からの自然科学の流れをたどり、20世紀の科学の躍進について解説し、若干の将来の展望を記した著書は少なくないが、本書は、このような大きな課題に挑んだ数少ない和書の一つである。科学技術ジャーナリストの著者は、最近における非線形科学の台頭と、衝撃的な未来を予想させる人工生命・人工脳などの研究をまず紹介したあと、アリストテレスから近・現代にいたる科学の背景をなす思想について詳述する。

 その上で、21世紀の科学に必要な新しいパラダイムの構築(科学の発展でなく「科学の進化」)について考察し、中国医学の自然観のような、西欧科学以外の伝統的自然学の優れた点を包含していく方向を例示する。さらに著者は、西欧の科学が、人間を棚上げした「目的と価値」を保ってきたことが、人類の危機を招来しそうな状況をもたらしているのではないかと論じ、科学が自然支配ではなく、自然との共生の知恵に進化するすることを期待している。科学者も一般の人々も、一読していろいろ考えさせられる好著である。

(2001年1月21日)

 

4 of 5 stars 庄野潤三 「庭のつるばら」新潮社

晩年の暮しのひとつの理想像

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 温かい家庭生活を描いた小説に力を発揮してきた作者の、それらの小説の続編的作品である。しかし、これは小説というより随筆の形になっている。子供たちが結婚し、もう長く二人きりで暮らすようになっている夫婦の生活を自伝的に記述している。子供たち、孫たち、知人たち、近所の人たちとの心温まる交流と、夫婦の静かでのどかな暮しは、随所に記されている主人公(作者自身)の感謝の言葉が象徴しているように、いかにも満足なものである。

 文学作品に鋭い洞察や問題提起を求める向きには、武者小路実篤的なおめでたさと写って、飽き足りないかも知れない。だが、何かと暗いことの多い今の時代に、このような平和な読み物に触れ、自分の晩年のあり方――それは若い間の生き方と無関係ではありえない――について考えてみるのも、よいことであろう。作中、説明が重複的なところがあるが、これも晩年の主人公の叙述らしい雰囲気を出しているものと見ることができよう。

(2001年4月28日)


5 of 5 stars 薄田泣菫 「茶話」岩波文庫

コラムの書き方の手本にもなるユーモア集

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 詩集「白羊宮」などで明治文学史上に名高い薄田泣菫は、大正時代、大阪毎日新聞社に在籍しながら、同新聞に逸話コラムを連載した。本書はそのコラムから選び集めたものである。無名の日本人から、マアク・トウェン、ヘンリー・フォウド、トオマス・エディソン、ダンテ、ダヴィット・ヒュウム、バルザック、ベンジャミン・フランクリン(表記は本書に従った)等々の世界史上の有名人までがぞくぞく登場し、その奇行等が語られる。

 2ページ前後の多数の軽妙な話からなっているので、短い待ち時間などに少しづつ読むのにうってつけの本である。ユーモアを楽しむ以外に、コラムの書き方を学ぶ手本としても重宝である。差別的な表現も見受けられるが、読者の方々には、本書を読み進む途中で、あわてて出版社に抗議しないようにお願いしたい。巻末に「原文の歴史性を考慮してそのままとした。」という断り書きがついているからである。歴史的な文を忠実な形で出版することは、資料的価値を保存する意味で重要であり、本書の扱いをよしとしたい。

(2001年6月27日)


5 of 5 stars 夏目漱石 「三四郎」岩波文庫

すがすがしい青春と現代に通じる社会批評

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 高校生時代に読んだのを、還暦も過ぎてから必要があって読み返した。明治も終りに近い1908年の作品であり、福岡の田舎に生まれ熊本の高等学校を卒業して東京の大学に入った青年、三四郎の恋は、現代からみれば、あまりにも淡泊と感じられなくもないが、その生き方のすがすがしさには、読者の年齢と時代を越えてひかれるものがある。

 三四郎に似た気の小さい青年の恋には、いまでも、この作品に描かれているような側面があるのではないかとも思われる。その意味で、これは、まさに古典のひとつであろう。ヒロインの美禰子が三四郎と交わす会話は、いかにも簡潔であるが、彼女の因習にとらわれない性格と知性をよく表わしており、いまなおモダンさを失わない。彼女が三四郎に与える「ストレイシープ」という謎めいた語は、この物語を幻想的に貫いている。

 また、作者が登場人物の口を借りて展開する社会批評は、現代にも通じる鋭さを持っている。たとえば、広田先生が、これからの日本についていう「亡びるね」という言葉。また、同先生が述べる昔の青年と現代の青年との比較、「近頃の青年は我々の時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない」など。高校生から中高年まで、年齢に応じた楽しみ方のできる好作品といえよう。

 注:上のイメージは Amazon.co.jp の取扱い商品と異なっています。

(2001年4月24日)


4 of 5 stars 村田喜代子 「名文を書かない文章講座」葦書房

「泥に手を汚して」書いた文章作法

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 芥川賞ほか多数の文学賞を受章した著者による文章の書き方の本である。著者は昔から文章作法について書かれた本を読むことに不快感があったが、自分でそういうものを書き始めて、その理由が、田圃の仕事を教えるのに手を泥に汚さない形で講義しているところにある、と気づいたという。この発見のためであろうか、本書は楽しく読めるようにできている。

 しかしながら、あまりにもすらすらと読めてしまったので、ある程度日が経ってから評者の記憶に残っていたのは、著者自身の言葉よりも、著者が推せんしている参考書の一つからの、次のような引用だった。「良い文章とは、1自分にしか書けないことを、2だれが読んでもわかるように書く、という二つの条件をみたしたもののことだ。」しかし、この引用文を二度登場させ、強く印象づけるように構成されているということは、本書自体が巧みに書かれていることの証明であろうか。

 著者は最終章で、「この本に書いた事柄はよくよく考えれば誰もがわかることばかりだ。」と記している。内容のこうした性格も、読後に著者の諸主張がほとんど頭に残らなかった原因かも知れない。ただし、この批評を書くために、今ぱらぱらとページをくってみたところ、暇があれば読み返したいという思いがこみあげてきた。――不思議な本である。――なお、この批評が、多少なりとも新しい読者を引きつけるように書けているとすれば、この本に負うところがあるのであろう。

(2001年5月3日)


4 of 5 stars 吉村浩一・川辺千恵美 「逆さめがねが街をゆく:上下逆さの不思議生活」ナカニシヤ出版

愛らしいイラスト入りで不思議体験を如実に描写

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 知覚心理学分野で逆さめがねの研究を専門にしている大学の先生(吉村浩一)と、工学部意匠工学の修士論文を書くために逆さめがね生活を経験した学生(川辺千恵美)が、共同で著した本である。横書きの体裁で、川辺ほか二人の被験者の奇妙な体験の報告と吉村の解説が、各左ページに簡潔に述べられている。右ページには、その体験を巧みに表現した、川辺自身による愛らしいイラストが配されている。報告、解説、イラストの三者がきわめて効果的に絡み合っていて、読者自身逆さめがねを着用したかのように、不思議な逆転の世界を深く味わうことができる。

 巻末の解説で吉村は、いろいろな違和感遊びを紹介し、逆さめがねはそれらのどれにもまして「正々堂々と、人間の思い込みに挑戦」するものであり、科学的解明の対象として、また、感性を磨く手だてとして、興味深いものであることを述べ、さらに、視覚的逆さが概念的逆さにつながる可能性にも言及している。心理学の研究対象を楽しいファンタジーとして提示することに成功しており、日常のものの見方、考え方について、ふと反省させてもくれる好著である。

 わずかながら、誤字(3ページ、イラスト中の「入浴済」)、脱字(136ページに被験者の体験日数欠落)と、やや読みづらい表現(54ページ「2つの酔いは耳の中の前庭器官で起こっていることが微妙に違います。」)が見受けられたのが、ちょっと惜しい。54ページの文は、「起こっていること」が一つの事象を指すものと思い込んで読み進むと、「違います」に出会い面食らう。思い込みがなければ、読みづらくはないのだが、始めの部分を「2つの酔いの間では」とすれば、問題なくすらりと読めよう。

(2001年6月9日)


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